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monologue
< または日記 の・ようなもの >
1999.05


99/05/31
 16:00、高円寺のリイド社で「リイドコミック」編集のW辺氏と打ち合せ。

 18:00、神楽坂の日本出版社で社長と「コンバットコミック」打ち合せ。

 今月最後の柴又名画座は、昨日BS2で放送された台湾・香港合作映画 『川の流れに草は青々』 を上映。 comment and picture

99/05/30
 午後、高田馬場で、大学時代の友人でミステリ評論家の森英俊くんが“推理作家協会賞”を受賞したため、内輪で受賞祝いの飲み会が開かれた。 snap photo

 柴又名画座は、昨日TBSで放映された、懐かしの思春期ラブストーリー 『個人教授』 を上映。 comment and picture

99/05/29
 午後、知人の出演する芝居を見るため、両国の江戸東京博物館ホールへ行った。
 演目は、剣技集団爽の『新選組物語 雲と風』。新選組の盛衰を、新選組最後の生き残り永倉新八の回想を通して描いたもの。剣劇がメインの劇団なので流れるような殺陣は見ていてホントに気持ちがいい。物語はいささか感情に流され過ぎな気もしたが、おセンチな気分に浸りたいときには最高だな。
 この芝居に誘ってくれたのは、女性ながらりりしい青年剣士・沖田総司役を熱演した野崎絵美さん。また誘ってくださいねーっ!!

 その後、一緒に芝居を見たフリーライターの野村宏平くん、笠井修くんと一緒に、両国駅舎を改造して造られた「ビヤステーション両国」で地ビールを味わうsnap photo

 柴又名画座は、マーチン&ルイスの底抜けコンビの快作 『画家とモデル』 を上映。 comment and picture

99/05/28
 終日、自宅で資料本を読んで過ごす。

 夕食後、友人に誘われて、江戸川区の健康ランドへ行くsnap photo

 帰宅後、柴又名画座は今宵もアメリカB級SF映画 『未来からの脱出』 を上映。 comment and picture

 ところで柴又名画座の1950〜60年代アメリカSF映画特集は、一応今日で終わりにして、明日からはまた通常プログラム(つまり何でもあり)に戻したいと思います。しかしこの時代のアメリカSF映画はつまらなくても楽しい(?)よね〜。ということで、いずれまた特集したいと思います。

99/05/27
 柴又名画座に関して友人から e-mailで、「図版は入れないの?」というお尋ねをいただいた。そこで本日から柴又名画座に試験的に画面スナップを入れてみました。プログラムは、以前テレビ東京で放映されたアメリカB級SF映画 『性本能と原爆戦』 を上映。 comment and picture

 ところで、いきなり車の話ですが、HONDA の オープンスポーツカー S2000 いいですねぇ。ホンダ党のぼくとしては心がウズきます。ということで、ぼくのホンダ車遍歴を振り返ってみました。snap photo

99/05/26
 15:30、初台にあるエニックス「少年ガンガン」編集部で中川氏と打ち合せ。

 17:00、神楽坂の日本出版社でデスクワーク。

 18:00、早稲田のスタジオハードで「コンバットコミック」編集長の松田氏と打ち合せ。

 柴又名画座は、日曜日の『空飛ぶ円盤〜』以来ちょっとハマってしまったアメリカのクラシックSF映画特集第6夜。レイ・ブラッドベリの短編『隕石』を原作にした劇場未公開作品『イット・ケイム・フロム・アウター・スペース』(1953年アメリカ作品、監督/ジャック・アーノルド、主演/リチャード・カールソン)を上映。砂漠の中の田舎街に巨大な隕石が落下する。ひとりの天文学者が、それが実は外宇宙から飛来した宇宙船であることに気付くのだが、街の人々は誰ひとりとして信用してくれない。エイリアン物の定番となる要素をすべて詰め込んだ盛りだくさんな作品で、低予算ながら映像効果や美術セットにも工夫が凝らされているのがいい。

99/05/25
 柴又名画座、アメリカクラシックSF映画特集第5夜は、劇場未公開作品『火星人大来襲』(1968年アメリカ作品、監督/ラリー・ブキャナン、主演/トミー・カーク)を上映。
 昨日の『宇宙船の襲来』と同様、地球人の女性をさらいに来る宇宙人という設定だ。火星では遺伝子の異常によって男女の出生比率が100対1になってしまった。そのため地球人の女性を誘拐しようとやってきたのである。『宇宙船の襲来』と違うのは、物語が、先遣隊として地球へやってきた5人の火星人の視点から描かれていることだ。従って、彼らの女性誘拐のための作戦行動が逐一描かれているのが興味深い。
 彼らの服のデザインは、モロに“ラララむじんくん♪”にそっくり(笑)で、B級テイストバリバリである。しかし彼らの会話の中では「地球人の男はいまだにネクタイなどという無意味なものをしている。火星では50年も前に廃止されたのに」なんて言っているから、火星本国では地球人と同じようなファッションをしているのであろう。因みにこの50年という年数が、どちらの星の年数を基準にしているのかは不明。
 ところで、彼らが女性を選ぶ条件は「健康な独身の女性」としているが、実際に選ぶ段になると美女ばかり選んでいるのが欲望に正直で好感が持てるな(嘘)。不幸にして選ばれてしまった女性の中には色気ムンムンのストリッパーも含まれているから、独身であれば処女性は問題ではないらしい。それにしてもストリップ劇場で、まばたきもせずにストリッパーを凝視し続ける火星人、ちょっと危なすぎ(笑)。
 美女といえばお約束のスチュワーデスにも白羽の矢が立てられる。火星人のひとりが空港でひとりの美人スッチーをマーク! 彼は1日中空港でそのスッチーの行動を観察するんだけど、飛行機にも乗らずに空港の通路やロビーを行ったり来たりしてるだけのスッチーっていったい…。
 また、風の強い日に戸外で絵を描こうとしている美女に忍び寄る火星人は…「お嬢さん、ほら、こうすると紙が風に飛ばされませんよ」などと言って近づいたりして、それじゃただのナンパだってば(笑)。ことわっておくが、これすべてギャグではなく大真面目なシーンなのである。
 ラリー・ブキャナン監督は『金星怪人ゾンターの襲撃』(1966)なんていう作品も撮っていて、1月にテレビ東京で放映されたんだけど録画し逃してしまった。タイトルからして『火星人大来襲』に比肩し得る超一級のB級SFに違いない。再放送を切に望むものである。

99/05/24
 本日も柴又名画座は1950年代のアメリカSF映画を上映。劇場未公開作品『宇宙船の襲来』(1958年アメリカ作品、監督/ジーン・ファウラーJr.、主演/トム・トライオン)を見た。結婚式前夜、夫になるはずの男性に宇宙人が寄生する。やがて宇宙人たちはその街の男性に取って変わり始める。大掛かりな特撮もなくストーリーも単純で、昨日見たワイズ作品とは違い、こちらは紛れもないB級SFなのでありました。
 妻が夫を尾行して彼が異星人であることを知る。しかしそれを街の人に知らせようとしても誰も信用してくれない。そんな孤独と迫りくる恐怖を教科書通りの盛り上げ方で見せてくれるあたりは、最近そういう表現が少なくなっただけに懐かしくまた新鮮であった。

99/05/23
 終日、資料本を読んで過ごす。ドサッと部屋に積み上げてある資料を今月中に読み終えるはずだったんだけど、予定が遅れぎみでちょっとヤバい状態である。マキを入れないと…。

 しかし今日も柴又名画座はオープンするのであった。本日はアメリカの古典SF宇宙映画特集第4夜として『地球の静止する日』(1951年アメリカ作品、監督/ロバート・ワイズ、主演/マイケル・レニー)を上映。
 この映画も劇場で見たことはなく、子供のころにTV放映されたのを見て以来およそ30年ぶりの再見だ。ストーリーはほとんど忘れていたけど、宇宙人の連れてきたロボット・ゴートの恐ろしさだけは鮮明に記憶していた。
 ということで、今回ほとんど初見といってもいい感想を書くと、まずキャラクター設定の魅力と、ワイズのキレの良い演出の的確さに驚かされた。子供のころに見たゴートの印象があまりにも強かったため、ぼくの記憶の中では、ロボットや宇宙船がザクザク出てくるあまたのB級SF映画と同列に分類していたからだ。
 特に前半の、宇宙人が人間になりすまして下宿した家で、未亡人の息子と交流するあたりのサスペンスたっぷりの展開がゾクゾクするほど素晴らしい。このムードが後の東宝SF、特に『透明人間』(1954)や『ガス人間第1号』(1960)などの異形人間シリーズ(と便宜的に呼ぶ)にも受け継がれていくのだな。もしもぼくが子供のころにこの映画を劇場で見ていたら、東宝の『マタンゴ』(1963)などと同様に、この宇宙人と少年のエピソードを強烈な印象で覚えていたに違いない。
 惜しかったのは、この映画も後半は宇宙人と国家との葛藤がメインとなってしまい、少年とのエピソードなどが置き去りにされてしまったこと。アメリカ映画がこの基本的なプロットに対する考え方の誤りに気付くにはまだ相当の時間を要するのである。
 それといささかシラケることを言ってしまうと、最後まで気になったのは、あれだけの科学力を持った宇宙人が作ったにしては、ゴートはどうしてあんなに融通の利かないデク人形なのかってことですね(笑)。

99/05/22
 昨日と今日も柴又名画座はSW公開騒動記念ということで、1950〜60年代アメリカの宇宙映画を特集しました。といっても宇宙人が出てくる作品ではなくて、宇宙開発がテーマの映画です。
 昨日のプログラムは『宇宙大征服』(1968年アメリカ作品、監督/ロバート・アルトマン、主演/ジェームズ・カーン)を上映。
 アポロ11号による人類初の月面着陸より1年前に作られた、月着陸への挑戦物語だ。ソ連との宇宙開発競争の中で、ソ連より先に月着陸を果たすため、NASAはアポロより前のジェミニ宇宙船で、無理矢理パイロットを月へ送り込んでしまい、後にアポロ宇宙船が完成したら迎えにいくという強引な計画を立てる。アポロの完成はまだ先のことで、「1年後か、それ以上かかるかもしれない」という会話が交わされる。その迎えが来るまでは、パイロットのために補給物資を積んだ無人ロケットが送り込まれるのだ。この補給船の月着陸カプセルの台座部分は、本物のアポロ月着陸船にそっくり。恐らくすでに計画の発表はあったのだろう。
 大胆だけど、当時の過熱する米ソ宇宙開発競争のさ中なら、もしかしたら実際に考えられていたかもしれないと思える信憑性のある大計画だ。人間描写もていねいで、アルトマン監督らしからぬ(?)腰の据わった作品であった。
 ふたりの親友のうちひとりが本番のパイロットに選定され、ひとりがバックアップに廻らなければならない、という人間ドラマとか、部分部分で『アポロ13』を連想させる構成が見られるのも面白い。

 そして本日は、邦題が昨日のプログラムとまぎらわしい『宇宙征服』(1954年アメリカ作品、監督/バイロン・ハスキン、主演/ウォルター・ブルック)を上映。こちらは初の人工衛星・スプートニク1号の打ち上げ(1957年)よりも前に製作された宇宙開発映画である。製作は50年代SF特撮の巨匠ジョージ・パル。
 未来、人類は共同して国際宇宙開発に取り組んでいた(といっても1人の日本人を除いて全員アメリカ人なんですけど・笑)、という設定で物語は始まる。しかし“未来”とはいっても、登場人物が会話の中で「あなたと一緒に戦った朝鮮戦争が…」とか、日本人が「ついこの間の、我々が負けた戦争で…」とか言っているので、ほんとに近い未来のようですけどね。
 ともかく人類は、地球と月との間に宇宙ステーションを浮かべて、宇宙空間で月ロケットを建造している。ところが、ロケット完成直後に急に命令が変更され、ロケットは月ではなく火星を目指すことになる。
 こちらは『宇宙大征服』にくらべてロケットのデザインや、モロにミニチュアとわかるプリミティブな特撮などすべてが50年代的でそれはそれでラブリー。特に合体変形メカを想わせるロケットのデザインは秀逸だ。火星着陸時には、燃料タンクを切り離し折り畳まれていた翼を開いて火星の大気の中を滑空して着陸する。着陸後は翼を外して直立。帰るときは翼を残したまま本体のみが垂直に離陸するのである。たぶんこれも当時としてはかなり考えられた科学的デザインなのだろう。
 こうして宇宙への挑戦を描いた2本のアメリカ映画を続けて見ると、アメリカ人は、一般人も含めて昔から本気で月着陸を考えていたということを実感する。当時の日本じゃ恐らく、宇宙飛行をこれほど現実感を持ったリアルな映像として想い描ける人はいなかっただろう。

99/05/20
 なんか巷では『STAR WARS』の話題でもちきりですねー。ぼくの友人の少なくともふたりが(別々に)、いまアメリカへ『SW』を見に行っている。そのうちひとりはLAからリアルタイムでHPにレポートをアップロードしてしまうほど興奮しまくっている。
 実はぼくはSWにはそれほど入れ込んでないんだけど、本日の柴又名画座はこのSW公開騒動記念ということで、SF映画の古典『世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956年アメリカ作品、監督/フレッド・F・シアーズ、主演/ヒュー・マーロウ)を上映。
『E.T.』の公開時に「異星人を初めて友好的な仲間としてとらえたアメリカ映画」みたいな評価があったけど、確かに50年代のアメリカ映画じゃ異星人はすべて悪者なんだな。この映画でも、初めて円盤が着陸した時からいきなり軍隊が機関砲でバリバリ撃ってしまってビックリだ。
 一時期、カップ焼きそば(だったっけ?)のCFで、この映画の中の、空飛ぶ円盤が議事堂上空へ飛来するシーンの映像が使用されていたけど、この特撮は『シンドバッド虎の目大冒険』などで有名な、ダイナメーションの神様レイ・ハリーハウゼン。コマ撮りでバリバリと崩壊する建物の描写などが懐かしく魅惑的だ。
 ところで、墜落する爆撃機のシーンとジェット戦闘機のシーンが妙にリアル過ぎるのだが、あれは実写映像なのだろうか。だとしたら飛行中から破壊→墜落までをかなり鮮明に捉らえていてものすごい決定的瞬間の映像ということになる。また、もしもミニチュアだとしたら、破片の飛び散り方や煙と炎の表現が半端じゃなくリアルなのである。胴体からエンジンが引きちぎれて、プロペラがねじれながらくるくると回転しつつ落ちていくなんてシーンがCGを使わずに作れるものだろうか。侮りがたし50年代SF。

99/05/19
『HAIKARA事件帖』の原稿がアップしたので、本日はOFFということで。

 本日の柴又名画座は、台湾映画『台北ソリチュード』(1997年台湾作品、監督/林 正盛リン・チェンシン、主演/陳 湘hチェン・シアンチー)を見た。定職に就かずサックスを吹きながら自分の生きる道を模索する主人公の青年(李康生リー・カンシェン)と、その青年に恋人のような愛情を寄せる姉(湘h)。BGMは一切使わず音楽はサックスだけ。ルーズな画面構成と長いカット割りが70〜80年代のATG映画みたいでどこか懐かしい。『銀座の恋の物語』に似たテーマ曲も悲しげでナイス!! 青春の蹉跌はいつも苦しく不条理で悲しいものなのだな。久しぶりに東陽一の映画が見たくなった。

99/05/18
 今日も終日仕事。電話で編集部、里見さんと打ち合せをして、『HAIKARA事件帖』の原稿の微調整を行う。

 柴又名画座本日のプログラムは、昨日の『男と女』に続いてカンヌ映画祭受賞作品『桜桃の味』(1997年イラン作品、監督/アッバス・キアロスタミ、主演/ホマユン・エルシャディ)を見た。人生に絶望した男が、自分の自殺を手伝ってくれる人間を探す。男は自殺場所として選んだ丘の周辺を車で走り回り、候補者として選んだ人物にひたすら声をかけていく。男の過去や自殺の動機などは一切語られないんだけど、男の必死さがその絶望の深さを感じさせる。兵役に就いたばかりの青年は男の話を聞いただけで逃げ出し、神学校の学生は教科書通りの説教を始める。動物園の中にある大学(?)で剥製学の講義をしている老人は「この世には四季という素晴らしい神の恵みがある。あなたはそれをすべて棄てるのかね? 桜桃の味を棄てるのかね?」と言って自殺を思い止まらせようとするのだが、それでも彼の心は揺るぎなかった。彼は何に絶望し、なぜその丘を死に場所に選んだのか。見るものが彼の姿にどんな悩みを思い描くのか、それによって映画の印象が微妙に違ってくる。実に奇妙な空気を持った、実験映画的な作品なのであった。
 カンヌ映画祭は観光イベント的な色彩が強く、時には大人の事情によって首を傾げたくなるような作品が受賞することもある。しかし昨日見たグランプリ受賞作『男と女』は文句ない傑作だったし、今日の『桜桃の味』も最高作品賞にふさわしい異色作だった。

99/05/17
 終日自宅で仕事。「スーパージャンプ」増刊号への移籍(?)が急に決まったから、締め切りまでの日程が少ないのだ。というわけで、一昨日から40時間以上眠ってないんだけど、あまり眠くないのはなぜだ。

 何度見ても飽きない映画というのは、ぼくの場合、ドラマの魅力よりも、映像美や流れるようなリズムを持った映画が多い。本日の柴又名画座は、そんな1本『男と女』(1966年フランス作品、監督/クロード・ルルーシュ、主演/ジャン・ルイ・トランティニアン)を見た。初めて見たのは高校の時のテレビ放映で、以来、大学時代には名画座にかかるたびに通い、レンタルビデオを借り、テレビ放映されるたびに見てきた。全編を通して雨の中で車を走らせるシーンが多く、ぼくが車を運転しているときも、雨の日はついついフランシス・レイのテーマ曲を口ずさんでしまう。

 05/11の柴又名画座『D坂の殺人事件』のところで、テレビ映画『明智小五郎』について触れたら、それについて、おもちゃコレクター仲間の堀さんから e-mail をいただきました。懐かしいオープニングナレーションも紹介されているので、堀さんの了解をいただいて引用しますね。(※改行位置は一部変更しました)

ごぶさたしてます、堀です。
本日HPの方を拝見してましたら、東映の「明智小五郎」の話題がありましたの で、ご参考までにと思いメール致しました。

放映期間 1970年4月4日〜9月26日 1回60分 東京12チャンネル
ゲストには、伊丹十三さん、フランキー堺さん、西村 晃さん等が出演されたそうです。
オープニングナレーションは

「街を歩いていて、こういう事を考えた事はありませんか?
あなたの周りは、皆見ず知らずの他人、
これからどこで何をしようと、気兼ねはいらない。
しかしその反面、あなたのとなりに
恐ろしい妄執にとりつかれた殺人鬼がいるかもしれない。
いえ、脅しではありません。
現代にはそんな例は、いくらもあるのです。」

です。一応、東映のLD「東映TV特撮主題歌全集1」に、OP&EDは収録さ れています。
(ちなみに放映日等は、講談社ヒットブックス(16)「生きているヒーローたち 東 映TVの30年」1989年発行を参考にしました)

 その後、さらに堀さんから、スタッフ&キャストのリストをお送りいただきました。

では、前回の続報(キャスト)を。(敬称は省略します。)

(レギュラー)

  • 明智小五郎=滝 俊介
  • 波越警部=山田 吾一
  • 波越亜沙子=橘 ますみ
  • 小林芳雄=岡田 裕介
  • 平井教授=山村 聡
(ゲスト)
  • 畔柳博士=伊丹 十三
(その他)
  • 脚本=池上 金男
  • 監督=工藤 栄一
  • 音楽=菊池 俊輔 です。ただ、脚本と監督は回によって違うと思います。 残念ながら、放映リスト等は私の資料にはありませんでした。
 因みにこのオープニングでは、新宿西口の京王百貨店と東急の間の南口へ抜ける路地を、怪人二十面相のような男がスローモーションで駆けて行くというシーンがあった。ぼくの記憶では、この場所は80年ごろまではそのままの風景だったと思うが、現在は華やかな店が建ち並び当時の面影はまったくない。新宿西口の駅前にあんなエアーポケットのような寂しい場所があったことさえも幻のような気がする。それにしても『明智小五郎』また見てみたいなー。

99/05/16
 午後、銀座ソニービル前でまんが家の城久人さんと待ち合わせ。銀座の画廊で「コンバットコミック」執筆陣のまんが家さんが多数参加している展覧会『24人の絵士展』に行った。

 帰宅後、すぐに『HAIKARA事件帖』の原稿に取りかかる。今日はハッキリ言って柴又名画座もキツかったんだけど、せっかくここまで続いてきたので無理してみました(笑)。本日のプログラムは、石原裕次郎主演の日活製戦争映画『零戦黒雲一家』(1962年日活作品、監督/桝田利雄、主演/石原裕次郎)である。飛行機は実物を使ってるんだけど、もちろん零戦ではない。手元に資料がないのでハッキリしたことはわからないけれど、複座の練習機か何かだと思う。
 ならず者ばかりが集まる南洋の基地へやってきた新任隊長(裕次郎)が、しだいにならず者たちの信頼を勝ち得ていく物語。戦争映画としてのリアリティや当時の軍人のリアリティはカケラもないが、日活青春映画としての座標は揺るぎない。この時期の桝田利雄は冴えてたんだけどねぇ。

99/05/15
 終日自宅で『HAIKARA事件帖』の原作を執筆。

 本日の柴又名画座は、先日に続いてJ・ギャグニー特集ということで『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』(1942年アメリカ作品、監督/マイケル・カーチス、主演/ジェームズ・ギャグニー)を見た。アメリカ人はいつの時代もアメリカという国を愛しているんだなぁ、という映画である。前半30分あたりまでは、後半の物語を盛り上げるための布石にすぎず、はっきり言ってけっこう退屈。ところがその前半の布石があとで主人公の人物像を浮き彫りにするのに生きてくる。これが、最近の映画のように「観客に飽きられないように、冒頭にツカミのシーンを入れて…」とか、姑息なことを考える必要がなかった映画黄金時代の余裕なんですかね。

99/05/14
 夕方、車で大泉学園へ。まんが家・里見桂さん宅で、集英社「スーパージャンプ」編集部のM沢氏と打ち合せ。実は、諸般の事情で「MANGAオールマン」に掲載予定だった『一条寺開 HAIKARA事件帖』の第3話が、「MANGAオールマン」ではなく「スーパージャンプ」の増刊号に掲載されることになったのだ。しかし、事情といっても別にややこしいことではなく「MANGAオールマン」ではページが30ページ前後しか取れないということで、里見さんが両誌の編集長に相談をして、結局「スーパージャンプ」増刊号に45ページで掲載されることになったのである。ぼくとしては今のところまんが原作の連載を持っていないので、とにかく載るならどこでもいいよっ、ということですべておまかせだったのだが、話が円満に進んでよかったよかった。

 本日の柴又名画座は、昨日に続いて BS2で放送の『格子なき牢獄』(1938年フランス作品、監督/レオニード・モギー、主演/コリンヌ・リュシエール)を見た。ある少女感化院に若く進歩的な女性院長(アニー・デュコー)が赴任してきて、封建的だった院内を明るいものに変えていくという物語だ。
 弱者が強者に支配されることが当たり前だった時代に、こうした自由を讃える映画は、当時、見た人に大きな元気や勇気を与えたに違いない。そんな映画の力を確信するスタッフの姿勢がはっきりと感じられ、いま見ても爽やかな気分になってくる。昨日の『制服の処女』と続けて見るとなかなか興味深いラインナップで、NHKもやるなァという感じだ。こんな自由な寄宿学校や感化院があったら、そしてそこにこんなすばらしい先生がいたら、子供たちはきっと明るくまっすぐに育つだろう……というのは、観客が性善説に立ち、この映画を善意に解釈した場合の感想だ。
 しかしこれを現実に置き換えてみると、恐らく生徒を信頼した先生は、生徒に裏切られることの方が多いのではないだろうか。これが性悪説に立ったぼくのもうひとつの感想である。これらの映画の中に描かれた教育の理想郷ユートピアについて、教職に就いている方の感想を聞いてみたいですね。

99/05/13
 終日自宅で仕事。

 1日1本テレビで映画を見ようと決めた柴又名画座が、本日でちょうど1ヵ月目となりましたー。パチパチパチ。この日記におつきあいくださっている皆様、本当にありがとうございます。時間的に見るのがけっこうキツい日もありましたが、この日記があるから見なくちゃと思って何とか続いてます。個々の映画はもちろん楽しいんだけど、毎日何を見ようか考えてるときがいちばん楽しいですね。学生時代に「ぴあ」のページをめくりながら時間や予算をあれこれやりくりしていたころを思い出します。映画に興味のない方や、興味ない作品ばかりだと思っておられる方、ごめんなさい。
 ということで、柴又名画座プログラム No.32 は、BS2で放送されたドイツ映画の古典『制服の処女』(1931年ドイツ作品、監督/レオンティーネ・ザガン、主演/ドロテア・ビーク)を見た。権威主義の寄宿学校の中で、ただひとり生徒たちの味方となり、生徒たちを守る女教師ベルンブルク(ビーク)と、彼女にほのかな恋心を抱き憧れる女生徒たち。ドイツではこれから間もなくしてヒトラーの恐怖政治が始まり、言論の自由を奪われてしまうことになるのだが、この当時は、こんなにも自由な映画が作られていたんですね。
 この映画は今回初めて見たんだけど、過去に読んださまざまな作品解説などから予想していた雰囲気とはまるで違った映画だった。ぼくは旧体制批判的な、あるいは政治批判的な硬派の作品を予想してたんだけど、実際は、少女たちの姿が生き生きと描かれた見事な青春映画なのだった。
 ところで、今週のTVガイドの番組時間表のところには 「女性ならではの繊細な演出がみもの」 と書いてあるんだけど、同じ号の映画紹介のページには 「監督は女流ザガンになっているが、製作・監修のカール・ムレーリッヒが実質的監督だと言われている」 と書かれている。いったいどっちを信用すればいいんでしょ? ぼくの印象では“女性ならではの繊細な演出”というよりは、むしろ歯切れの良い大胆な演出に見えましたけどね。特に驚いたのはオーバーラップの使い方だ。ベルンブルク先生の心にある女生徒が自殺をするのではないかという予感が走るシーンで、その女生徒と先生の顔がアップでぐらぐらと揺れながらオーバーラップをする。この不安表現はすごかった。まさにドイツ表現主義の流れをくんだ伝統的映像テクニックである…と言うのはまったくのこじつけですけどね(笑)。

99/05/12
 本日の柴又名画座は、30年代ハリウッド映画の傑作『汚れた顔の天使』(1938年アメリカ作品、監督/マイケル・カーチス、主演/ジェームズ・ギャグニー)を見た。30年代に流行した暗黒街映画にヒューマンドラマのエッセンスを加味した作品で、まるでシナリオの教科書のような一部の隙もない作品だ。まだ見てない方のためにくわしくは書かないが、ギャグニーの、彼自身の誇りを守るかそれとも旧友(パット・オブライエン)の友情を賭けた願いを聞き入れるのか、という究極の決断を迫られるシーンには何度見ても涙が出てしまう。ギャグニーの代表作であると共に、『カサブランカ』(1942)と並ぶマイケル・カーチス監督の代表作でもある。
 因みに、78〜79年ごろ、この映画と同じ邦題でギャグニーの自伝が日本で翻訳出版されていた。しかしぼくがいちばん映画を多く見ていた70年代後半〜80年代前半には、この時期のハリウッド映画はほとんど見ることができず、従ってギャグニーの作品も、当時見たのはこの映画を含めてわずか数本だけだった。そのため、役者としてのギャグニーの本当の魅力が分かりはじめたのはレンタルビデオ店が普及しはじめる80年代後半に入ってからのことである。今にして思うと、あの自伝、買っておくんだったなー。一時期は特価本として古本屋に山積みになっていたこともあったんだけど、今じゃ全く見なくなってしまったし、あっても高いだろうなー。

99/05/11
 本日の柴又名画座は、嶋田久作が名探偵・明智小五郎を演じた『D坂の殺人事件』(1998年東映・東北新社作品、監督/実相寺昭雄、主演/真田広之)を見た。冒頭、極端に耽美的なムードで始まったため「ちょっと気負いすぎかな」とも思ったけど、すぐに原作の江戸川乱歩的世界との調和が取れてきてちょうどいいバランスになった。乱歩の小説を映像化すると、妙に健全な探偵物にアレンジしてしまうか、その逆に耽美的な部分をグロテスクに強調するかで失敗している例があるので心配させられたが、実相寺演出に、そのあたりのぬかりはなかった。
 また、原作を読まれた方は分かると思うけど小説の「D坂の殺人事件」はキモとなる部分がひじょうに映像化しにくい。この映画ではそのネックとなる部分を、同じ乱歩の小説「心理試験」をうまくミックスすることで、見事なサスペンスにしている。
 かつて東京12チャンネル(現・テレビ東京)で、1970年ごろ、深夜に放送されていた『明智小五郎』というテレビシリーズがあった。低予算ながら毎回大胆でエロティックな映像表現があってぼくの好きだった作品なんだけど、後年、大学に入ってからミステリーファンにその話をすると何人もの人がこの番組を評価していて隠れた名作だったことを知った。今回の映画はそのテレビシリーズを思い出させるムードがあって妙に懐かしいところも個人的にポイント高いですね。
 それと、三輪ひとみという女性が演じている小林芳雄少年の妖しい魅力も、何だかハマりそうで見逃がせないものがある。手元に資料がないので未確認なんだけど、この三輪ひとみサンって三輪明宏と関係があるんだろうか。例えば親戚だとか。というのも三輪明宏は、かつて江戸川乱歩原作の『黒蜥蜴』(1968年松竹作品、監督/深作欣二。傑作!)で、主役の黒蜥蜴を妖しく演じており(当時は丸山明宏)、乱歩映画とは遠からぬ縁があるのである。

99/05/10
 本日の柴又名画座は、BS2で放送された『荒馬と女』(1961年アメリカ作品、監督/ジョン・ヒューストン、主演/クラーク・ゲーブル、マリリン・モンロー)を見た。粗野だが純粋な3人のカウボーイと、都会育ちのピュアな女性の純粋すぎる恋と友情の物語。ゲーブル主演ということで情熱バリバリでキッスの嵐的な恋を期待していると見事に肩すかしをくらう。とにかくストイックで、あのゲーブルが、キスさえ1度もしないのだ。まるで昭和40年代の日本の青春TVドラマのような内気な恋物語なのであった。
 ぼくが映画を見るようになった頃にはモンローはすでに伝説の女優であり、生前の彼女の評判を知っているわけではないが、生前の彼女の声を直接聞けた人は幸せだったと、この映画を見てつくづく思った。女性にはごくまれに、話しているだけで、まるで歌うような美しいハーモニーを奏でる人がいる。それをぼくは“和音でしゃべる人”と形容してるんだけど、彼女の声は、文字どおり話し声が調和した和音のように耳に心地好く響くのだ。日本の女優では薬師丸ひろ子がそうだったんだけど…。今はそういう声を持った女優さんって、いないですねぇ…。

 夜、ちょうど柴又名画座がハネたあとに、女子高生のすずちゃんが家へ訪ねてくる。明日から修学旅行だからデジカメを貸してほしいとのこと。またホームページのネタが増えそうですね。お楽しみに。

99/05/09
 友人が経営する会社の社員がフリーマーケットに出店するというので、陣中見舞いに行った。 snap photo

 本日の柴又名画座は、昨日に続いてS・スピルバーグ&G・ルーカス製作のアニメーション映画『リトルフット 謎の恐竜大陸』(1988年アメリカ作品、監督/ドン・ブルース)を見た。これも昨日の柴又名画座の項で書いたのと同様に、異なる種類の恐竜同士の心の交流がテーマとなっている。種類の違う4匹の恐竜の子供が荒涼とした大地を旅をする。個々の恐竜の性格はきちんと描き分けられているが、種類の違う恐竜同士が集まっていることが特に意味を持つようなシチュエーションがひとつもなかったのは残念でした。
 恐竜がフルアニメーションでグニャグニャとソフトに動くのは、見慣れていないからか何だかとても不自然に感じた。これが猫やネズミだと自然に見えてしまうのは、猫もネズミもアニメーションのキャラクターとして定番だからでしょう。慣れとは恐ろしいものです。

99/05/08
 本日の柴又名画座は、先日見たアニメーション『アメリカ物語』の続編『アメリカ物語2 ファイベル西へ行く』(1991年アメリカ作品、監督/フィル・ニベリング、サイモン・ウェルズ)を見た。予想通り、移民話の次は開拓話でしたね(笑)。しかし今回はキャラクター個々の目的もハッキリしており、よりドラマチックになっている分、前作よりも楽しめた。
 ところで、前作でネズミに味方し、猫のギャング団と戦うのに協力してくれた菜食主義者の猫が、今回も重要なキーパースンとして登場してくる。アメリカ人には、自分たちに味方する異端者を必要以上に称揚する性質がある。多民族国家でない島国に生まれ育ったぼくとしては、それを見るたびに何だか偽善的なものを感じて素直に「あの菜食主義者の猫はイイ奴だ」とは思えなくなってしまうんだけど、もちろんそんな読み方をしたらこの映画はブチコワシになってしまうわけで…どーもね(笑)。
 似たような話で、“外見は醜い異端者だけれども実はイイヤツ”というのもアメリカ映画にはよく登場する。『E.T.』とか『シザーハンズ』とか。しかしこれもまた、“外見は醜い異端者”であることが必要以上に強調されているため、ぼくには逆にそれが“イイヤツだけれども外見は醜い異端者だぞ”ということを強調しているように感じられ、そいつらに親切にする彼ら自身が、実は激しい抵抗感を持っているように感じられてならないのだ。
 その明らかな証拠が『美女と野獣』である。野獣と結ばれることになった美女は、野獣が美しい王子の姿に戻ったのを見て、さらに大喜びして強く抱き合うのであった。「チェッ、なんだだかんだいっても、やっぱり美青年のほうがイイんじゃないか」、と、あの映画を見てシラケませんでした? 『E.T.』はそんな偽善的な部分を差し引いてもいい映画だったけど、『美女と野獣』はそれを取ったら何も残らないからなー。
 もっとも、偽善的だろうがなんだろうが、こうして差別問題を繰り返し描くアメリカは、それを言葉の言い換えなどで覆い隠してなかったことにしてしまう日本よりも、明らかに進んでいるとは思いますけどね。

99/05/07
 終日、資料本を読んで過ごす。
 深夜になって、ある本を買い忘れていたことを思い出した。別に明日でもいいんだけど、仕事もひと区切りついたので、気分転換を兼ねて、車で六本木にある青山ブックセンターまで行くことにする。青山ブックセンターは早朝5時まで営業しているのだ。が、溜池を過ぎたあたりから猛烈に渋滞していて3車線ともほとんど動かなくなってしまった。この時点で時間は午前4時。これじゃあ六本木に着いたとしても路肩に車を置くだけでも大変だし、ゆっくり見ることもできない。ということで、目的地を目前にして行くのを断念し、中央分離帯の切れ目でUターンして帰宅する。ま、深夜のドライブもいいでしょう。

 ということで、本日の柴又名画座は帰宅後、早朝6時からの上映となりまして、プログラムはお下劣スプラッターコメディ『悪魔の毒々モンスター東京へ行く』(1989年アメリカ作品、監督/ロイド・カウフマン、主演/フィービー・レジェール)でございます。先日、近所のレンタルビデオ店へ言ったら、特価セルビデオのコーナーに580円で売っていたのである。
 公開当時かなり話題になった『悪魔の毒々モンスター』の続編で、ノリは前作とまったく同じなんだけど、前作がカルトムービーとして(恐らくスタッフも意外だったほどの)高評価を得たため、今回はスタッフが自信を持って悪乗りしている雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。予算もたっぷり目でカーアクションや特撮もグレードアップ。日本ロケにはきちんと日本スタッフが参加しており、関根勤や安岡力也などがおバカな役で好演している。銭湯や相撲などがストーリーにからんでくる場面も見どころだ。
 が、実はぼくは元々スプラッターってあんまし好きじゃないんだよねー。だって下品なんだもん(笑)。決して映画の見せ物性を否定するわけじゃないんだけど、スプラッターはただそれだけっていう気がしてねー。だから、血まみれシーンなどはぼくにとってはただ表現過剰なだけにしか映らなかったけど、それはそれで評価する人がいることは認めますので、スプラッターファンはそういう人の批評を読んでみてください。ギャグシーンは面白いところが多数あって盛りだくさんで大満足。佃島の魚屋を舞台にした、毒々モンスターVS安岡力也の決闘シーンが最高です。

99/05/06
 11:30、新宿のヒルトンホテル地下のレストランで昼食を取りながらの取材。ところがその取材中に突然テレコが故障して動かなくなってしまった!! 仕方なく必死でノートにメモをする。うーん、大事な取材だからちゃんと事前にテストしておいて電池も新品を入れてきたのにィ。

 14:00、西新宿の某プロダクションで大量の資料をコピーさせていただく。

 18:00、中野にあるまんが専門の古書店・まんだらけで資料本を探す。例によって不要不急の趣味本を何冊も買ってしまう。コピーの束やテレコが入っていてすでにカバンは満杯なのに、さらに超重量級になってしまった。

 重いカバンを抱えてよろよろと帰宅して、さっそく柴又名画座を開館。今日は懐かしのハリウッドヒューマンドラマ『惨劇の波止場』(1930年アメリカ作品、監督/ジョージ・ヒル、主演/マリー・ドレスラー)を見た。血縁のないひとりの少女を養女として養う食堂の女主人(ドレスラー)。彼女のぶっきらぼうでがさつで、いつもしかめっ面をしているキャラクターが実にいい。最初は吝嗇けちで乱暴なだけの女に見えたのがだんだんと、本当は少女を深く愛していることがわかってくる。それは少女にもはっきりと通じているのだが、少女の本当の母親が現われたことから歯車が狂い出す。脚本の見事さとドレスラーの表情がこの映画を傑作にしている。彼女は日本映画だったら北林谷栄の役どころだろうか。

99/05/05
 本日の柴又名画座は、BS2で放送された昆虫世界のドキュメンタリー映画『ミクロコスモス』(1996年フランス作品、監督/クロード・ニュリザニー、マリー・プレンヌー共同監督)を見た。お勉強臭いナレーションは一切なくて、カメラがただひたすらぼくらの足元に広がる昆虫たちの世界を見つめ続ける。
 朝露が宝石のように玉になって木の葉の上で輝き、そこに昆虫が頭を突っ込んで水をすする。人間のスケールで考えられる物理法則が通用しない一種の異世界がそこにある。
 映像はひたすら美しい。特殊な効果を持たせているわけじゃないのだが、愛情ある視線で撮影すれば、照明やフィルターに凝らなくても昆虫本来の美しさを引き出せるということだね。
 そしてさらに、そうやって接写レンズで大写しになった主役の昆虫の後ろを、それとは全く関係がなく、その何十分の1というもっと小さな昆虫が走りぬけていく。異世界は1つではなく、交差し重なり合って重層的に存在しているのだ。
 フランス映画ということもあり、「ファーブル昆虫記」を意識したようなシーンもいくつかあった。スカラベが糞玉を転がしてきて、糞玉が木の枝に刺さって動かなくなったらどうなるか…このシーンはちょっとヤラセくさかったけど、スカラベの「昆虫記」の描写そのままの行動が見られて興味深かった。
『ミクロキッズ』は、小さくなった子供たちがまさにこんな昆虫世界に入り込んでしまうお話だったが、人間社会を中心としたギャグと子供たちのドタバタに埋没して異世界部分の描写はかなり薄味だった。『バグズライフ』は、後輩の柴尾英令くんも評価しているようだから期待が持てるかな。

99/05/04
 終日、自宅で資料本を読んで過ごす。すると雨の中、セールスマンが2人もやってきた。が、2人ともうちに来る前に隣の家に立ち寄ってその声がドア越しに聞こえるから、我が家へ来てもドアも開けずに完全無視。残念でした(笑)。しかし…訪問販売ってあれで商売になってるんでしょうかね。一人暮らしを始めてから1度も相手にしたことがないぞ。
 そういえば、ぼくが子供のころまでは、訪問販売とか物売りはたくさんやって来た。まずは、かつぎ屋さんと呼ばれる、野菜を山ほど背負って農家からやってくるおばあさんたち。野菜は確かに新鮮でおいしいんだけど、値段はちょっと高めだった。京成電鉄ではつい10年ほど前まで、このかつぎ屋さん専用の電車を1日に数本走らせていたほど数が多かったのだ。
 まんがに出てくるような、カバンに雑貨を詰め込んでやってくる押し売りもたまにいた。押し売りは買うまでねばって帰らないから、母は仕方なく歯ブラシなどの安いものを買ったりしていたようだ。よぼよぼの老人が泣き落としの口上を述べて売っていく押し売りの場合は、かわいそうになって使えない鉛筆を1ダースも買ってしまったこともある。この鉛筆は削るだけで芯がポキポキ折れる超粗悪品であった。
 昭和50年代に入ると怪しい訪問販売が多くなってくる。○ッコールという麦を原料にしたというコーラや、飲み屋でカワキモノと呼ばれるいわゆる珍味を売りにくるのは、どちらも宗教団体の資金集めだという。○ッコールの訪問販売は1本試飲させてくれた。これはマズイという人もいるけど、ぼくはそんなにマズイとは思わなかったので、母と相談して「6本なら買いましょう」と言ったのだが、カートン(24本)でないと売らないというので断わってしまった。しかしそもそも昨今のご時世では、正体の知れない訪問販売で、差し出されたドリンクを試飲すること自体が危険だな。
 フトンを売りに来た時にはぼくが不在で、母は高価な羽毛掛け蒲団を買ってしまった。しかしこれは実は蒲団を売るだけではなく、毎年蒲団を片付ける時期になると電話がかかってきて「蒲団の丸洗いをいたします」とシツコク言ってくるのである。断わると「丸洗いをしないと健康に悪い」ことをさかんにアピールする。実はこれ、いまだに電話がかかってくるので辟易しているのであった。「もうその羽毛蒲団は棄てちゃったよ」と言っても、また翌年別の人から電話がかかってくる。購入者リストだけが生き残っているようだ。まるで裏ビデオの通販と同じだ。その裏ビデオの怪しい通販に関しては、いずれ b-joke 氏が UNDER GROUND コーナーで書いてくれるでしょう。

 本日の柴又名画座は、昨日 WOWOW で放送されたスピルバーグ製作のアニメーション『アメリカ物語』(1986年アメリカ作品、監督/ドン・ブルース、声の出演/浪川大輔)を見た。ストーリー自体は1930年代のハリウッド映画にありがちな移民の苦労話で、それをネズミの世界に置き換えてアニメーション化しただけのようで見るべきものはなかった。しかしアメリカ人にとっては移民話と開拓話は心の故郷だから、こういう話は何度見ても元気が出るんでしょうね。アニメーションとしては小物の使い方がうまくて楽しめた。主人公のファイベルが石鹸に乗って流されていくと前方に剃刀が突き立っていて、せっけんがみるみる削られていくシーンとか、とにかく過去のアニメーションをよく研究してますね。
 ところで今回見たのは吹替え版で、夜空を見上げながらファイベルが「SOMEWHERE OUT THERE」を歌うちょっといいシーンがあったんだけど、歌が下手で白けさせられた。ここは原語版だとどうなのだろう。

99/05/03
 本日の柴又名画座は『ロスト・ワールド ジュラシック・パーク』(1997年アメリカ作品、監督/スティーヴン・スピルバーグ、主演/ジェフ・ゴールドブラム)を見た。夜、眠っていた子供がふと目覚めると、窓の外から恐竜が覗いていた!! このシーンがいちばん気に入りましたね。子供のころに見てたらきっと夢に見ていたでしょう。『キングコング対ゴジラ』でキングコングが日本にやってきただけでうなされたぼくですから。

99/05/02
 車で大泉学園へ行き、まんが家の里見桂さんと会食をする。 snap photo

 本日の柴又名画座は、BS2で放送された、巨匠ジャン・ルノワール監督の喜劇『黄金の馬車』(1953年イタリア、フランス合作作品、主演/アンナ・マニャーニ)を見た。18世紀初頭、とある南米のスペイン植民地を舞台とした、貴族と旅芸人一座が織り成す滑稽な物語だ。
 次々と登場する何人もの人間の性格を、端的にさらりと描き分けてしまう手腕はさすがルノワール!! 特に序盤に登場するナルシストの闘牛士などは、一座の主演女優(マニャーニ)に客席から手を差し伸べる自己陶酔しきったトロンとした表情と手の動きだけで、完全にそのキャラクターを表現しきっていた。“キャラを立てる”というのはこういうことを言うのだな。
 ところで、このイタリアから来た旅芸人一座というのが、イタリアの伝統的な大衆演劇である即興仮面劇コメディア・デラルテの一座であった。コメディア・デラルテは、イタリア喜劇のルーツともいえるものであり、映画ではフェリーニの作品などにも多大な影響を与えている。仮面をつけ菱格子模様(つぎはぎのぼろ布を図案化したものだという)の服を着た道化師が登場するのが特徴で、軽妙な味わいが信条。ところが、それをルノワールが演出するとこうも風格のあるものになってしまうのか、というところも興味深かった。まるで木の実ナナを思い起こさせるマニャーニのガラッ八でざっくばらんな態度と貴族連中の鼻持ちならない特権意識との対比も見どころのひとつ。
 メリメの舞台劇の映画化だというが、映画のフレームと劇中劇の舞台のフレームが2重に重なって視覚を惑わすようなお遊びで映画ファンをニヤリとさせるところなども心憎い演出だ。

99/05/01
 1日1本テレビで映画を見ようと決めたムービーマラソン・柴又名画座。本日はGW真っ只中ということで、娯楽映画を上映いたしました。先日、文化勲章を授章した舛田利雄監督の日活ムードアクションの傑作『紅の流れ星』(1967年日活作品、主演/渡哲也)を見た。映画評論家の渡辺武信氏は、その名著『日活アクションの華麗なる世界』の中で、すべての日活アクションは“自己を喪失した男のアイデンティティ回復の物語”である(手元に本がないので本当はもっと的確な言葉を使っていたと思う)と書いている。そしてこの作品はまさにそんな自己を喪失した男のさすらいの物語なのであった。周囲の音(つまり効果音)は必要最少限しか使用せず、アフレコによる、まるで耳元で囁いているような会話が、さすらう男の孤独をひしひしと感じさせる。石原裕次郎や小林旭よりも若いためにそれまで小僧の役しかなかった渡哲也が堂々とした男の悲しみを演じて本物の風格を漂わせている。少々トウが立ってしまった共演の浅丘ルリ子も、この作品ではそのくたびれ加減がちょうどいい感じ。
 日活アクションファンのぼくとしては、もちろんこの映画も何度も見ているが、初めて見たときには悲しくて悲しくて涙が出た。どこが悲しいというのではない。全編にただようペシミスティックな味わいそのものが悲しいのだ。そしてそんな予感通りに(?)、ほどなくして日活アクションは終焉を迎えることになる。矢作俊彦が日活アクション映画のフィルムを切り貼りして作った異色の映画『AGAIN』でも、たしか決めのシーンにこの『紅の流れ星』のラストシーンが使われていたと記憶している。
 ヌーヴェルバーグの先鋭J・L・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』を下敷きとしたシチュエーションやセリフが随所に見られるのも、決して嫌味ではなく、映画的記憶となって映画ファンの心に響いてくる。


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