monologue |
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その後、InternetExplore5 と、Windows98 の西暦2000年問題修正プログラムをインストールする。相変わらず Microsoft のプログラムのインストールには時間がかかるなー。ハングアップしてるのかどうかの判別が難しくて心臓と胃に悪いぞ。
ところで、その IE5 の新機能にルビ表示機能があるので、さっそく上の文章で使ってみた。
本日の柴又名画座は、日曜日に続いて豊田四郎監督の『台所太平記』(1963年東京映画・東宝作品、主演/森繁久弥、淡島千景)を見る。熱海に住む作家の家で、お手伝いさんとして働く女性たちの人生模様を、作家(森繁)とその妻(淡島)の目を通して綴った物語だ。そのお手伝いさんたちに対して、作家と妻は、実の親のように結婚相手を探したり、半端な男との交際を心配したり。それでいてそれを恩に感じてくれる者もいれば、アッサリとやめてしまう者もいる。ぼくにとっては、まるでまんが家とアシスタントの関係を思い出して思わずニヤリとさせられた。
例えば里見桂さんのアトリエには常時3〜5人のアシスタントが出入りしているが、里見桂さんの話をうかがうと、中には思いっきり風変わりで信じられないような性格のアシも多いのだとか。具体的には書かないけど(笑)。
夕食後、自宅で仕事をしていると、女子高生のすずちゃんがやってくる。何でもフジテレビの夕方の帯番組「DAIBAクシン!!」に出演しているチェキッ娘について調べたいので、ホームページをプリントアウトして欲しいというのだ。
すずちゃんってば「チェキッ娘って知ってますか? 黒沢さんすきそうだけど(笑)」とか言って…、名前は聞いたことあるけど見てないっつーの!! ちなみにホームページにアクセスして見たところ、ぼくは熊切あさ美ちゃんが好みですね。あっ、そんなこと誰も聞いてませんか(笑)。
話題の参考のために、チェキッ娘のプロフィールページに直リンクしておきます。リンク切れたら終わりね。→ココ ※新しいブラウザウインドウが開きます。
本日の柴又名画座は、日本テレビの麹町名画座で放送された『私のように美しい娘』(1972年フランス作品、監督/フランソワ・トリュフォー、主演/ベルナデット・ラフォン)を見た。社会学者の青年が、女性の犯罪心理に関する論文を書くために刑務所でひとりの女性受刑者にインタビューをする。社会学者に語る形で、彼女の自己中心的で行き当りばったりな過去が綴られていく。どうしようもない不良女なのだが、不思議と憎めない。そして社会学者はしだいに彼女に引きつけられてゆき、傍観者であったはずの彼自身も彼女の人生に巻き込まれていく…。と、トリュフォー監督が好んで描く、強くてわがままで自由奔放な女性を描いた映画だ。理性的な社会学者が次第にこのアバズレ女に引き込まれていく描写にも強引なところがなく、計算された流れがうかがえる。
因みにこの日テレ月曜深夜の映画枠“麹町名画座”は、毎度プログラムの選定が渋く、ノーカット・ノートリミングなので好きだ。先週もトリュフォー監督の『柔らかい肌』を放映していたし。こちらは録画してあるのでまた後日見る予定。解説の水野晴郎も10年くらい前までは出たがりな部分が鼻につき、映画の解説もお座なりになってちょっと引いちゃってたんだけど、最近は落ち着いて「いやァ〜映画って本っ当に素晴らしいですね!!」というお決まりの言葉も味わいが深くなってきた気がする。単にぼくも水野晴郎も歳をとっただけかも知れないが。
本日の柴又名画座は、昨年閉館した最後の名画座“銀座並木座”によくかかっていたような、豊田四郎監督の2本立て『夫婦善哉』(1955年東宝作品、主演/森繁久弥、淡島千景)と『猫と庄造と二人のをんな』(1956年東京映画作品、主演/森繁久弥、山田五十鈴)をBS2で見る。どちらも腑甲斐ない男をめぐって生々しく生きる女たちの生きざまを活写した作品だ。前者は芸者に入れあげて親から勘当される大店(おおだな)のボンボン。後者は母ひとり子ひとりで親離れできない雑貨屋のマザコン息子。情けない男という以外は全く性格の異なるキャラクターを森繁久弥が見事に演じ分けている。両作品とも前半は昼行灯の男を中心に呑気に話が進んでいくのだが、ほとんど終わり近くなっていきなり女性がガス管をくわえて自殺未遂を計ったり(『夫婦〜』)、前妻と後妻が髪の毛をつかんで取っ組み合いのケンカを始めたり(『猫と〜』)と、死人も出そうなほどの激しい展開になってくる。平凡なホームドラマ風に始まり、次第に辛口のドラマになっていくあたりは、ぼくの世代だと、山田太一の『岸辺のアルバム』なんかを思い出しますね。
ところで、今回見てて気付いたんだけど、渥美清の初期のころの演技は、かなり森繁久弥を意識していたようですね。例えば困惑したときの目の動きや肩を揺する演技などは瓜二つといってもいいほどだぞ。
そのあと、これを書きながら BGV 代わりに、と思って TBS の『小さな恋のメロディ』(1971年イギリス作品、監督/ワリス・フセイン、脚本/アラン・パーカー、主演/マーク・レスター、トレーシー・ハイド)をつけておいたら、何と画面がノートリミング(ビスタサイズ)で放送されているではないか!! そこで急遽、パソコンを離れてきちんと観賞することにした。『小さな恋のメロディ』は、テレビで放送された吹き替え版と字幕版、そしてレンタルビデオからダビングしたものと3バージョンのビデオを持っているんだけど、どれも10年以上前に録画したもので、3本ともトリミング版なんだよね。何しろ当時はビデオソフトもトリミングされたものの方が多かったのだ。『小さな恋のメロディ』は初公開のときから映画、テレビ、大学の自主上映、図書館の上映会などで、恐らく50回以上見ているが、何度見てもいいものはいいのだー。しかしノートリミングで見たのはやはり10年ぶりくらいだなぁ。そこでもしやと思って今回の放送にもう1つ期待したことがあったんだけど、残念ながらそちらの期待は裏切られた。実は『小さな恋のメロディ』には、再上映以後、カットされているシークェンスがあるのだ。主人公ダニーの友人オーンショー(ジャック・ワイルド)が自宅でソーセージを炒めようとしてガスが止まっていることに気付き、コイン式ガスメーターに細工をしてガスを出す、というシーンなんだけど、これって犯罪だからまずいということなのか。ともかくぼくの記憶にあるそのシーンは中学以来どの上映でも見たことがない。
本日の柴又名画座は、BS2で放送されたハリウッドコメディ『腰抜けモロッコ騒動』(1951年アメリカ作品、監督/ノーマン・Z・マクロード、主演/ボブ・ホープ)を見た。国際的なスパイと瓜二つの舞台俳優が、そのスパイに化けてモロッコで極秘任務を行うことになる。ボブ・ホープの1人2役の演じ分けは見事だが、映画自体は良くいえばスマート、悪くいえばシンプル過ぎる。つまりマーチン&ルイスの底抜けシリーズみたいな破壊的な展開が見られずにあっけなく終わってしまうんだよね。明日はその『底抜け』シリーズの1本が放送されるらしいが、そっちはどうかな。
14:30、打ち合せの後、エレベーターのところで、学習まんが人物館※1のときにお世話になった立山編集長とお会いしたので、しばし雑談と近況交換をする。ちょうど近々『ゴッホ』、『ファーブル』、『藤子・F・不二雄』が増刷されることになったとのことだ。学習まんが人物館シリーズは主に女の子の読者に売れているそうで、ぼくがシナリオを書いた本では『ナイチンゲール』と、女性まんが家・あべさよりさんが作画をされた『ファーブル』が好調らしい。
17:00、神保町にある、友人SとIの共同事務所に立ち寄る。Sは広告代理店、Iは通販会社を経営していて、どちらもぼくの中学時代の同級生なのだ。この日の話題はインターネット通販の可能性について。ぼくは事務所のパソコンで、インターネットで実際に利益をあげているマニアショップのページを開いて現状を説明してあげた。SもIも、それぞれにこだわりのある趣味を持っているのでコレクターの気持ちは充分に理解している。しかし実際に商売を始めるとなると簡単ではない。商売に興味のないぼくにはそれ以上のアドバイスはできなかった。
本日の柴又名画座は、若干25歳のオーソン・ウェルズが製作・監督・脚本・主演をこなした歴史的名作『市民ケーン』(1941年アメリカ作品)を見た。「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して死んだ新聞王ケーン。ジャーナリストたちがその言葉の意味を探って故人を知る人々に話を聞いていく。巧みすぎる構成。そしてあまりにも有名なパンフォーカス※2の創造…。今回、10数年ぶりに再見して、「バラのつぼみ」の謎に関わるヒントが、記憶していた以上に作品の随所に散りばめられていたことがわかった。ジャーナリストたちにはまだまだ「バラのつぼみ」の謎を解き明かすチャンスがあったのである。しかし結局、人の心の中は最後までわからないということか。今、ぼくはある作家とその作品に関して長期取材を行っているんだけど、やはりその人の心の奥に秘められた本当の想いにまでは到達できないのかもしれないな。
※2 パンフォーカス:ひとつの構図の中で、画面手前から画面奥まですべてにピントを合わせ、画面の手前と奥で並行して進む複数のドラマが、あるときは対比、あるときは相乗の意味を持って統一したアンサンブルを奏でる表現手法のこと。この『市民ケーン』において初めて技法として確立したといわれている。技術的にはカメラのレンズの絞りを通常の撮影よりはるかに絞り込む必要があり、そのためには膨大な照明装置を必要とする。若いウェルズにそんな冒険をさせてしまったハリウッドの懐の深さにも感心しますね。
昼食はスタジオゼロ下のレストランで取った。何だか頭の上にTVアニメ史の重みを感じるぞ。ただ天井が低いだけかもしれないけど。スタジオゼロの詳細は、この monologue の1999/03/10の項を参照されたし。
本日の柴又名画座は、20:00から WOWOW で放映される『ロスト・ワールド ジュラシック・パーク』にするつもりだったんだけど、残念ながらその時間までに帰宅できなかった。
そこで予定を変更して我が家のビデオライブラリーから、『星の王子さまを探して サン=テグジュペリ〜魂の軌跡』(1995年イギリス作品、監督/アーナンド・タッカー、主演/ブルーノ・ガンツ)を見る。冒頭にわざわざ「この物語はイマジネーションを元に描かれた創作です」というテロップが入る。なぜかと思ったら、映画の内容が、サンテックス(サン=テグジュペリの愛称で、この映画の原題も『SAINT-EX』)の関係者へインタビューをするというドキュメンタリー風の演出で進められるためだった。しかしもちろん本物の関係者ではなく全員役者である。そのモノクロの偽インタビュー映像とサンテックス本人が登場する幻想的な伝記シーンとが交互に織りなされて物語は進んでいく。
この映画は、一昨年ぼくが小学館でサンテックスの伝記まんがのシナリオを書いた※とき、参考資料にしようと思って探したのだが、当時はビデオ化もテレビ放映もされていなくて見ることができなかった。しかしこの映画、セリフが少なく状況説明もほとんどないから、むしろこの映画を見るためにサンテックス本人に対する基礎知識が必要なほどで、つまりは当時このビデオを入手していてもあまり役にはたたなかったと、そういうわけ。サンテックスに対するある程度の基礎知識を持って見れば、なかなか思い入れたっぷりに作られた愛情豊かな映画であることがわかって好感度は高いけどね。まだ見てない人は、ぜひ小学館の学習まんが人物館『サン=テグジュペリ』を読んでから見よう。
それにしてもサン=テグジュペリと宮澤賢治、このふたりの伝記映画を撮ろうとすると、誰もが彼らの作品の強烈な照射を受けて、必ず幻想的なものにしてしまうんですな。
本日の柴又名画座は、西部劇『胸に輝く星』(1957年アメリカ作品、監督/アンソニー・マン、主演/ヘンリー・フォンダ)を上映。賞金稼ぎの主人公が、お尋ね者の死体を積んだ馬を引き連れてフラリと町へやってくるところから、まさに正統派西部劇といった感じでもーたまりません。主人公が新米の保安官(アンソニー・パーキンス)に早撃ちを教える場面なんて、中学か高校のころだったら、即モデルガンを引っぱり出してきてマネしてましたね(笑)。
本日の柴又名画座は、ロジェ・バディム監督の吸血鬼映画の傑作『血とバラ』(1960年フランス・イタリア合作作品。主演/メル・ファラー)を上映。ホラー映画でもモンスター映画でもなく、ただひらすらに吸血鬼を美しく撮ることにのみ執着した耽美的な作風は、後の吸血鬼映画に多大な影響を与えた。純白のドレスを染める血、鏡、グラス、窓、森、そしてバラ…それらがすべて女吸血鬼の美しさを際立たせるためだけにスクリーンを次々と彩っていく。わが敬愛する大林宣彦監督のバイブル的作品であり、そのためにぼくも学生時代に幾度となく見返した映画である。
本日の柴又名画座は、BS2で放送された『少女ムシェット』(1967年フランス作品、監督/ロベール・ブレッソン、主演/ナディーヌ・ノルチエ)。貧しい少女の荒んだ生活を淡々と描く作品の中に、既視感のような懐かしい味わいをもっている。まるで成瀬巳喜男的とでもいうんでしょうか、フランス映画(特にヌーヴェルバーグ作品)って、どうしてこうも日本人の感性に合うのでしょうかね。
帰宅すると、ちょうどテレビ東京で、奥田瑛二が手塚治虫を演じるドラマ『永遠のアトム・手塚治虫物語』が始まるところだった。しかしそっちは予約録画してあるから後日見ることにして、今日も柴又名画座を。
本日のプログラムは先日 WOWOW で放送された故・スタンリー・キューブリック監督の『ロリータ』(1962年イギリス作品、主演/ジェームズ・メイスン)である。原作の小説とはずいぶん違った味わいの作品になっているが、サスペンスタッチの犯罪映画風に始まり、主人公の悲劇の恋をクールな視点で描く隙のない演出とカメラワークは、さすがのキューブリック! 全ての登場人物がそれぞれに救いようのない哀しい人生を背負っており、それが主人公の孤独を際立たせ、また見た後に苦い余韻となって浮き上がってくる。
早朝6:00ごろ、寝る前に、まんが家の里見桂さんに FAX で資料をお送りしたら、里見さんから折り返し電話がかかってきた。里見さんも昼夜逆転した生活をしてるなぁ(笑)。そして、そこで衝撃の事実が発覚。何と、すでに先週末に書き直しを終えていた「オールマン」の原作が、まだ里見さんの手元に届いていないというのだ!! 編集さんのところで止まっているのである。うーむ、俺は何のために急いだんだぁぁぁ!!!
ということで、本日の柴又名画座のプログラムは、BS2で放送された『軍用列車』(1975年アメリカ作品、監督/トム・グレース、主演/チャールズ・ブロンソン)である。アリステア・マクリーンの原作・脚本で、列車という閉鎖空間を使いきったストーリーが見事!! 移動する密室=列車物というのは、それだけでドラマをはらんでいるから楽しいね。
そのまま首都高に乗って早稲田のスタジオハードへ行き、松田編集長に原稿をお渡しする。アドバイザーとはいっても、人数が少ないから原稿取りだってやるのだ。
帰宅後、書庫で資料探しをしていたら、大学3年の時に見た映画のリストが出てきた。懐かしい作品名が並んでいるので ホームページでも公開します。 Movie List 1979 ※表サイズが大きいので、表示に時間がかかるかもしれません。
さらに調子に乗って、インターネットで入手した脱力リアルオーディオファイルも公開。うひー。 tasteless voice
17:30、早稲田のスタジオハードで「コンバットコミック」編集長・松田氏と打ち合せ。
今日はもう帰るだけなので、高田馬場在住のフリーライター・野村宏平くんを呼び出して一緒にメシでも食おうと思い電話をしたら、彼はこれから仲間と新宿へ映画を観にいく予定なのだという。そこで、そちらの予定に便乗させてもらうことにする。本日のメニューは『富江』というホラー映画である。 snap photo
終電で帰宅後、「MANGAオールマン」の原作に添付する説明用イラストを書いて編集部へファックスする。あー眠い。
続いてそのまま「MANGAオールマン」の原作の書き直しに取りかかる。あー、昨日、少しでもやっておけば良かった(笑)。そしてこちらが書き上がったのは日付けが変わって9日の午前7時。午後から打ち合せがあるから早く寝なくちゃ。
と思ったら、深夜になって、女子高生のすずちゃんがやってきた。 snap photo
そこへ向かう電車の中で、居眠りするサラリーマンとツーショット。しかしこの企画もマンネリ気味だなー(笑)。 snap photo
夜、小僧寿司チェーンのドラえもん寿司パックを食べた。皆さんは、その中に入っているドラずしというものを食べたことがありますか? snap photo
ところでこれを読まれているパソコンユーザーの皆さんに耳寄りなことをお教えしよう。何と市販のパッケージソフトを無料でバージョンアップできる(かもしれない)方法だ。その方法とは…!?
、パッケージソフトを購入したら、すぐにユーザー登録ハガキを投函せず、次のバージョンが出るまで待つのである。そして新バージョンがでたところでおもむろにユーザー登録をするのだ。方法はこれだけ。ソフトによってはユーザー登録から新バージョン発売までの期間が短いと、自動的に最新バージョンを送ってきてくれることがある。
ぼくはこれをわざとやろうとしたわけじゃなくて、面倒で送ってなかったハガキが出てきたので送ったら、ある日、メガソフトからは STARFAXの最新版 STARFAX99 が。そして、ネットワークアソシエイツからはウイルススキャンの最新版 Virus Scan Ver4.0 が送られてきたのである。待ってるだけで最新版が送られてくるんだから、木の根っこにウサギが頭をぶつけるのをずーーっと待ってるみたいなもんである。おきらくごくらく。みなさんもどう?(笑)
夜、自宅に女子高生のすずちゃんがやってくる。彼女のやっている『すずのホームページ』の古くなったコンテンツを、恥かしいから整理したいというので、その打ち合せである。「熱しやすく冷めやすい」と自分で言っているすずちゃんだけど、振り返ってみると彼女のホームページも、 1997年6月に公開してから間もなく2年になるんだよね。HPを始めたときには高校生になったばかりだった彼女もこの4月でもう3年生!! どひー。ぼく自身の高校の3年間なんてすっごく長かった気がするんだけどねー。
因みに、すずのホームページというのは、女子高生すずちゃんがコンテンツを作成し、それをぼくがデジタル化して公開している、当 allnightpress.com の人気コーナーです。すずのホームページへは、こちらからどうぞ。※新しいブラウザウインドウが開きます。
ということでコンビニで買ってきた「週刊アスキー」を読んでいたら、ほりのぶゆきの、「恐怖の大王の正体は地域振興券だった」という落ちの4コマまんがが載っていた。うーむ、これはもしかしたらズバリ的を得た解釈なのではないだろうか!? ノストラダムスの予言だって数ヶ月程度の誤差はあるだろうし、空から振って湧いたように日本中にバラ撒かれた地域振興券は、日本の不況経済の混乱に拍車をかけ、赤字国債を増大させるだけの、まさに恐怖の大王と言えるではないか!!
かつてノストラダムスは、フォルクスワーゲン・ビートルの生産中止までをも予言しているのだ※註。そのノストラダムスが日本の地域振興券の発行を予言していないと果たして誰が言えようか。
※註:ノストラダムスの『諸世紀』の中に「かぶと虫が死ぬ」という一節があり、五島勉の解釈によれば、それは“かぶと虫”の愛称で親しまれたドイツの国民車、フォルクスワーゲン・ビートルの生産中止を言い当てているのだという。さすが専門家の読みは深い!!