Top monologue 2004/06/02 Back

今、あえて言います、三菱がんばれ!!
(2004/06/02)

 今日の夜のニュースで、三菱自動車がまた過去に隠していたリコールを公表した。その数は17車種26件で、合計16万台にものぼるという……。三菱車オーナーとしては本当に肩身の狭い日々が続く昨今である。
 ところでこの monologue では、日々テレビで報道されるような世の中のニュースにはあえてあまりコメントしないようにしています。それは、偉そうにぼくがあれこれ何かを言わなくても識者のコメントがいくらでも聞けるし、素人の無責任な感想や陰口だって読みたければネット上に無数に存在するからです。でも今回だけは、ぼくも三菱車オーナーとして無関係ではいられない気がして、今の自分の考えを書きとどめておこうと思いました。お時間のある方は、よろしければお付き合いください。

▲これがぼくの愛車1987年式パジェロ。これは2年前の写真なので、現在はさらにあれこれと手が加えられている。
 そもそもぼくは、現在の愛車1987年式パジェロを約10年前に友人から譲ってもらうまで、三菱車に乗ったことは一度もなかった。それは、バイクのときからずっとホンダ党だったので、ホンダ以外の車が全く視野に入っていなかったという理由が最も大きいけれど、三菱というと軍需産業・旧財閥系という権威的なイメージが強かったせいもある。
 実際、三菱は戦後ずっと、乗用車にはスリーダイヤマークを付けていなかった。それは戦争中の軍事産業としてのイメージがダブるのを避けるためだったという。だからぼくのパジェロ(87年3月新車登録)には、外観上スリーダイヤはどこにも付いていない。
 ところがちょうどそのすぐ後くらいに「戦争が終わって年月が経過し、スリーダイヤと軍事産業がイメージ的に重ならなくなった」という理由で、再び乗用車にもあのスリーダイヤが復活したのである。パジェロで言うと87年9月のマイナーチェンジで、フロントグリルとリヤエンブレムにスリーダイヤが付くようになった。
 けれどもぼくは、皮肉なことに、そのころからどうも三菱の車は妙な方向に向かってしまったんじゃないかと思うのだ。

▲1970年に発売された、当時の軽自動車規格である360ccのバモスホンダ。完全オープンタイプのボディとフロントグリルに付けられたスペアタイヤが特徴。4人乗りのバモス4と2人乗りのバモス2があった。(画像は Car@nifty「東京モーターショウ2002」より借用させていただきました)
 それ以前の三菱車は明らかに違った。70年代にラリーで大活躍したランサー1600GSRを始め、ギャランGTO、ギャランFTOなどは友人が乗っていたが、どれも実に素晴らしい車だった。
 そしてぼくがこの初代パジェロに初めて乗ったときには、メカとしての誠実な造りに心から感動した。基本的な部分は奇をてらうことなくトラッドで信頼性が高い技術でまとめ、細部のポイントポイントにさりげなく職人のこだわりが光っている。ときにはそれが無骨すぎてちょっと不器用なところもまたいい。
 つまりこの初代パジェロにも、ぼくが愛してやまないホンダマシンに通じる技術者の魂が生きて脈打っていたのである。ぼくはこのパジェロで「三菱車、いいじゃないか」と大いに見直した。いや、それどころかパジェロが大大大好きになってしまったのである。ホンダのRV車と比べても、初代パジェロに勝てるのは初代バモス・ホンダくらいしかいないだろう。
 しかし、その愛しの我がパジェロも、ディーゼル車なので排出ガス規制に引っかかってしまうため、再来年の3月に車検が切れたら強制的に手放すしかない(涙)。それでつい1年ほど前までは、次に買う車もぜひ三菱の4WD車にしたいと考えていた。けれどもここへきてその考えが揺らぎ始めている。もう企業としての信頼性はほとんどゼロですからね……。実際、リコール隠しが原因で死亡事故まで起きているわけだから、いま三菱を声を上げて応援するのは本当にはばかられる。
 でもぼくは、まだ三菱の技術者の良心は腐っていないと思っている。技術者まで腐ってたらパジェロのような名車が生まれるはずがない。だからあえて言います。三菱がんばれ!!


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