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monologue
< または日記 の・ようなもの >
97/10-11


97/11/09
 昼間は宝島社の原稿を書いて過ごす。今日は選挙当日なので宣伝カーも来なくて静かだ。いいぞ。

 夕方、まんが家のいちかわのりさんから電話。全体の1/2だけ依頼してあった三一書房の本用のイラストが完成したという。
 21:00 完成したイラストの受け取りと、残り1/2のイラスト依頼のために、車で練馬へ。練馬のデニーズは日曜日で混んでいたため、富士見台のジョナサンで打ち合わせ。あ、3日間ずっと家にいたから、ヒゲ剃ってくるの忘れた…。

97/11/08
 宝島社の原稿を本格的に書き始める。まずは仕事の気分をチェンジするために、前の仕事の資料を片付け、空いたスペースに宝島社の仕事用の資料を1ヵ所にまとめて並べる。よし、気分が乗ってきた! さぁ書くぞ!!(実はもう今さらそんなこと言ってる場合じゃなくてバリバリ書き上げていかないといけない時期なのだが)。

 と…思ったのだが、昼間は選挙の宣伝カーがうるさくて仕事にならない。あーそれに今夜はワールドカップのアジア最終予選がある…。実は向かいの家の若夫婦が大のサッカーファンで、試合の日は1点取ったり取られたりするたびに大声で「ワーッ!!」と叫ぶのだ。するとその家の赤ちゃんが「ギャーッ」と火がついたように泣き出してもう大パニックとなるのだ。「これは多分今夜も荒れるぞ…」と思ったら、なぜか静か。そう! その頃若夫婦は国立競技場で「ワーッ」「ギャーッ」と大騒ぎをしていたのでありました。メデタシメデタシ。

97/11/07
 午後、起き抜けにさっそく Pentium の件で、日本DECのサポートセンターに電話で問い合わせると「純正パーツ以外はサポート対象外です」とにべもない返事。しかしなおも食い下がると「当時の最上位機種が Pentium 100MHzですからねぇ、ジャンパ設定などが対応していない可能性はあります」とのこと。やっぱそうなんだー(涙)。16800円も払って P5-90 から P5-100 になっただけ。ほとんど変わらーん。トホホ。

 夜、少年サンデーのさんだぁ杉氏から電話。「原稿どうなってますかー」。実は今回の『アクシデンツ』は月曜に送ったプロットで OK が出てたんだけど「全3話構成じゃキツイんで4話構成に変更しましょう」ということになっていたのだ。そのため、もう1つヤマ場の追加を依頼されていた。その加筆分を送るはずだったんだけど電話がないから忘れたフリをしていたのだった。やば…。すぐに書き始め、深夜ファックスで原稿を送る。ふー。編集者として言わせてもらうと、こんな風に場当たり的に仕事するライターはダメだね(笑)。

97/11/06
 14:30 三一書房に、書き上げた単行本の原稿とフロッピーを届けて中島氏と打ち合わせ。いやー、やっとここまできた。あとは残りのイラスト依頼をするだけだっ。

 そのあと、パソコンのハードディスクが一杯にになってきたので MO ドライブを買おうと秋葉原へ行くと、無印 Pentium が捨て値で売られている。166MHzが16800円。うーん、買っちゃえ。てなわけで、CPU お買上。ついでにメモリ 32MB も購入して MO はまた後日。まさに衝動買い。ところが、帰宅してさっそくセットアップすると、100MHzにしか認識してくれない。マザーボードや BIOS が古いから対応してないのかもーっ(涙)。

97/11/05
 13:00 宝島社の打ち合わせのため、高田馬場の野村宏平くんの家へおじゃまする。昔はよく遊びや仕事でおじゃましてたんだけど、最近行ってなかったので道に迷いかけた。 snap photo

 17:00 日本出版社で新生「コンバットコミック」の反省会。実は、ぼくは社長に「営業の人のコンバットコミックに対する感想が聞きたい」と言っただけなのに、社長が「それじゃ反省会をやろう」と言い出したのだった。ヤブヘビだったねコリャ(笑)。

97/11/04
 朝8時ごろ、寝る前にちょっとテレビをつけてぼんやり見ていると、いきなり画面が消えて「しばらくお待ちください」の表示が。最近はめったに見ないので急いでデジカメで撮影した。 snap photo

 朝9時半、ようやく眠りについたころ、建物を揺るがす振動と騒音に飛び起きた。何とマンションの錆びた階段の手すりの補修工事が始まったのだ。あ゛ーっ。まだ寝たばかりなのにぃ。「何時ごろまでかかりますか?」と聞くと、「んー今日いっぱいかかっちゃうねェ」だとぉぉぉぉっ! わりゃぁ、誰の許しを得てそんなことしとんのじゃあっ! 口から手ェ突っ込んで奥歯ガタガタいわしたるどーーっ!!

 …とは言わずに、騒音をガマンして無理矢理寝ついた11時ごろ、選挙の宣伝カーがやってきた! 候補者のオヤジが「エイエイオーッ!!」とか、無意味な気勢をあげている。バカヤローーーッ。

 それでもめげずに眠った午後1時。突然電話が鳴って飛び起きると、「○○党の○○候補をよろしくおねがいいたしますぅ」だとっ!? こっちは寝てるんだってば。バカヤローーーッ!!

97/11/03
 今日は祭日なので夕食は豚肉のキムチ炒めだ! っつーわけでヨーカ堂で材料を買って帰宅すると留守電が入っていた。少年サンデーのさんだぁ杉氏が『アクシデンツ』のプロットの部分修正をしてほしいとのこと。「電話じゃアレなんで…」というので、キムチ鍋はオアズケ。カップラーメンをかきこんで車で小学館へ向かう。祭日なのに、さんだぁ杉さんも編集部にいるんだもんなぁ(笑)。

 帰宅後、すぐ『アクシデンツ』の書き直しを始め、書き終えたのが翌4日の午前7時。ファックスで原稿を送る。ふー。

97/10/31
 エニックス北村氏から電話。田村ちいさんのネーム(まんがの下描き)が完成したとのことで、ファックスで送っていただく。しかしエニックスのファックスもうちの BJ-10v と同じく給紙が不調らしく(笑)、カンジンのクライマックスの所が送られて来ていなかった。週明けにまた送りなおしてもらわなくちゃ。

97/10/30
 午前5時『アクシデンツ』プロットUPし、ファックスで原稿を送る。ふー。

夕方から三一書房の原稿の仕上げにかかり、夜、やっと原稿完成。しかしプリントアウトするだけで3時間以上かかってしまった。レーザープリンタが欲しいー。使っているワープロソフトがDOS/V用の松Ver.6なので、漢字ROMを内蔵していない EPSON PM-700C では出力できず、7年も前に買った CANON BJ-10v でプリントアウトしているのだ。これが遅い遅い(笑)。シートフィーダーはすぐに紙を2枚以上送っちゃうし。しかしこれでも購入当時は素晴らしい早さだと感動したんですけどね。

97/10/29
 少年サンデーのさんだぁ杉氏から電話で「『アクシデンツ』のプロットどうなりましたかー」と電話があり、あわてて原稿を書き始める。実は今週月曜に渡す約束だったのだが、電話がないので忘れたフリをしていたのだ(笑)。やば…。

97/10/28
 書庫として借りているアパートにこもって、宝島社の撮影に使用する資料を掘り起こす。前のアパートから現在のアパートに引っ越してもう3年になるのに、ダンボールに入れたままだったのでまさに発掘である。

97/10/27
 12:00 神保町でカメラマンの武田氏と待ち合わせ。古い少年雑誌を撮影に使いたいというのでお貸しするためだ。その後、ぼく自身の資料購入のため、2時間ほど書店を歩き回る。神保町ではちょうど青空古本市を開催中だった。

 14:30 神楽坂で再びカメラマン武田氏とお会いして、撮影の済んだ雑誌を返していただく。 snap photo

 15:00 日本出版社へ。季刊「コンバットコミック」秋号の見本誌ができていたので、その宣伝のため新編集長・治田くんに登場してもらった。 snap photo

 それはそうと、そろそろ女子高生の靴下を撮るのもマンネリ化してきたなぁ…というところで、今日の行きの電車と帰りの電車で、スリットの入ったスカートの女性を見た。そこで新テーマ(笑)! この寒いのに薄着の女性を探せ!! …とか。snap photo

97/10/26
 三一書房の原稿が、あとがきと索引などを残すのみとなった! ああ、しかしすでに宝島社の仕事が押してきている…。ということで、ずっと自宅にいるからネタがない。苦しまぎれに、ぼくの本棚に並ぶ小物をデジカメで撮影した。あまり面白くないです、すみません。 snap photo

97/10/24
 エニックス北村氏と電話で打ち合わせ。「少年ガンガン」の次回コミックのタイトルが『安里と安安の動物ミステリー 海の贈り物』に決定! 作画は前作『ニーハオ!昆虫名探偵』と同じく田村ちいさん。12月発売の号に掲載される予定です。どうぞよろしく。

97/10/21
 宝島社の仕事で、野村宏平くんと一緒にライターの竹熊健太郎氏のお宅におじゃまし、『サルまん』コンビ竹熊健太郎氏とまんが家の相原コージ氏にお会いする。 snap photo

 竹熊氏のお宅へ向かう途中の中央線車内と吉祥寺駅周辺で、またも紺ハイソの女子高生を目撃したのでスナップする。 snap photo

 そのあと神保町へ行き「少年サンデー」の杉山氏と『アクシデンツ』の打ち合わせ。

97/10/20
 日本出版社へ「コンバットコミック」の校了作業に向かう。その途中、京成線の車内で、居眠りするおばさんとツーショットが撮れた。 snap photo

97/10/18
 ぼくは見なかったんだけど、テレビ番組表によれば本日の『出没!アド街ック天国』のテーマが神保町だったようですね。ぼくが9/1に目撃したやつね(笑)。

97/10/14
 朝、小林氏の監視役を「コンバットコミック」の新編集長・治田くんにバトンタッチして帰宅。午後まで眠る。

 この日はぼくは自宅で三一書房の原稿を書いていたが、結局、小林氏はこの晩も編集部で徹夜をして15日の朝に帰宅をした。この夜は治田くんがおつきあい。小林氏は36時間以上の連続執筆。そして治田くんも30時間以上の連続勤務となってしまった。キビシーッ!!

97/10/13
 午前中、日本出版社の社内会議に出席。

 午後、神保町の小学館で少年サンデーの杉山氏と打ち合わせ。

 しかしこの段階で小林源文氏の「コンバットコミック」の原稿がまだあがっていない。そこでついに最終作戦発動。小林氏に編集部で徹夜をしていただくことになった。ぼくは小学館の打ち合わせ後、一度帰宅して2時間ほど仮眠をし、再度終電近くの電車で編集部へ行き、それから翌14日朝の8時過ぎまで小林氏の執筆におつきあいをする。

97/10/11
 午後、横浜で打ち合わせの後、またまた小林源文氏宅へ原稿をいただきに行く。しかし上がったのは2枚。いよいよ締め切りキビシイ源文大先生であった…。

 だがしかし! そこから編集部へ移動する小田急線の車内では、隣のお兄さんが居眠りを始め、向かいのドアの所にはラルフの紺ハイソックスの女子高生が立つ。こりゃ撮影に忙しい(笑)。 snap photo

97/10/09
 夜、車で小林源文氏宅へ「コンバットコミック」の原稿をいただきに行く。その足で編集部へ。しかし上がったのは3枚。また今回も締め切りのきびしい源文先生であった…。
 因みに小林源文氏は先日玉川学園に2階建ての新居を購入したばかり。余計なお世話ですががんばって仕事していただきたいと切に望む次第です。

97/10/08
 神保町で蕪木統文氏と三一書房単行本打ち合わせ。原稿は残り1割! しかし急がないと間もなく宝島社の仕事のピークがやってくるのだ(汗)。

97/10/07
 小学館の「少年サンデー」編集部へ、少年サンデー手帳の『少年サンデー連載作品年表』のデータ更新に行く。少年サンデー手帳と言うのは、毎年編集部で作成しているオリジナルの手帳で、読者プレゼントされたり、関係者に配布されたりする非売品のもの。
 その巻末に、創刊号から現在までの連載作品の年表が付いているのだが、それの作成・更新をここ数年ぼくがやっているのだ。ちょっとした小遣い稼ぎね(笑)。

97/10/06
 15:00 エニックスで、「ガンガン」編集部の北村氏に原稿を渡す。エニックスの編集部にもインターネットに接続したパソコンが導入されたとのことで、そのパソコンの前で北村氏をスナップする。 snap photo

 16:00 新宿西口の喫茶店で、野村宏平くんに、宝島社の仕事で使う写真を渡す。

 16:30 中央線で御茶ノ水へ移動。電車の中でハイソックスの女子高生をスナップする。 snap photo

 17:00 御茶ノ水の喫茶店で、三一書房の中島氏とまんが家のいちかわのりさんにお会いして、イラスト依頼の打ち合わせ。

 19:00 いちかわのりさんにお借りした資料の山を、いちかわさんと一緒にカートで練馬まで運び、デニーズで食事をする。 snap photo

 20:30 帰宅途中の電車の中で、居眠りするお姉さんとツーショット写真を撮る。 snap photo

97/10/04
 資料室として借りているアパートの大家さんに、家賃を払いにいく。大家の塩川くんは実はぼくの小学校時代の同級生なのだ。彼の家には隣の猫がよく勝手にあがりこんでいる。 snap photo

97/10/01〜03
 宝島社の取材で、野村宏平くんと一緒に九州へ行って来たsnap photo


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