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GUNS&ミリタリーおもちゃ箱

第4回:銀玉鉄砲が掟だ!!

路地裏少年の必須アイテム


伝説の名銃セキデンオートマチックSAP.50。ごついスタイルながらグリップは細身で子供の手でも握りやすい。写真はサムレストのある発砲樹脂グリップパネルが付いた後期タイプ。
 昭和30年代半ば。銀玉鉄砲の登場はぼくらの鉄砲ゴッコに革命をもたらした。
 銀玉鉄砲以前にもタマの出る鉄砲玩具はたくさんあった。しかしどれもタマの値段が高くおまけにどこにでも売ってるというものでもなかったので、屋外で撃つなどモッタイナクてできなかったのだ。それにくらべて銀玉は50発入り1箱が5円。これなら多少回収できなくても惜しくはない。銀玉鉄砲はすぐにぼくらの必須アイテムとなった。

最初期型セキデンオートに銀色のカラースプレーを吹きつけて豪華パッケージで再版したもの。当時120円。
 銀玉鉄砲というと誰もが思い出すのが上の写真のセキデンオートマチックだろう。コイルスプリングが伸びる時のバビーンともビヨーンとも聞こえる独特の発射音を覚えている方も少なくないと思う。この画期的な連発銃は50円という価格でデビュー。たちまち駄菓子屋を席捲した。
 余談だが、このセキデンオート、銃の横に20ヵ国で特許を保持していると誇らしげに刻印してあるが、その特許番号が 銃によって2種類ある。どうやら一方は「3」を「8」と誤植しているらしい。駄菓子屋玩具らしいご愛敬である。

セキデンオート登場への道



 銀玉鉄砲の前身となった玩具鉄砲は、昭和36年ごろに少年雑誌の通信販売で売られた組立て式プラスチックピストルだったという。灰色のプラスチック弾をジャラジャラと装填し、ボルトを手で引いてコッキング。トリガーを引くとビヨヨンと玉が出る単発式だった。
 その直後に同じような構造の単発式プラスチック鉄砲が駄菓子屋に登場するが、革命的だったのはその弾丸だった。弾丸のサイズは直径6ミリ強。材質はなんと壁土のようなボソボソの粘土。それに銀粉をまぶしたものを弾丸としていたのだ。これが銀玉であった。

銀玉各種。最近はビニール袋入りがほとんどで箱入りはめったに見かけない。
 銀玉の安価さが引き金となって銀玉鉄砲はたちまち子供たちの間に大流行した。入手できなかった子供は隣町や親戚のいる町の駄菓子屋まで買いに走った。
それにつれて鉄砲も改良され、半年後には連発式のセキデンオートが登場する。
セキデンオートは最初から完成された構造を持っていた。特に弾丸の給弾方式に工夫が見られる(図1参照)。サイズのいいかげんな銀玉を使うために、弾づまりはしょっちゅうだったが、それ以外の故障はほとんどなかった。有効射程距離は約5メートル。グリップパネル変更程度のマイナーチェンジで、ほとんど変 わらないままに20年以上も売り続けられていたロングセラーモデルである。
 今回、どこかにしまいこんじゃったようで紹介できなかったが、昭和40年代に登場したバリエーションモデルで、フレームの横に巻き玉火薬をセットし、銀玉発射と同時に火薬が鳴るタイプもあった。また見つかったら紹介しますね。

新機構ヒゲバネ方式の登場

 昭和40年代に入ると、セキデンオートの独壇場だった銀玉鉄砲界に新しい波が訪れる。ヒゲバネ方式の登場だ。実はこれはぼくが勝手に名付けたもので、発射機構に細い針金状のバネを使用したものだ(図2)。さらに銃身をカタパルト状にしたことで、飛距離をのばすと同時に、セキデンオートでは構造的に不可能だった銃口からの弾丸発射をも可能にした。
 しかしヒゲバネ方式によってセキデンオートが駆逐されてしまうことはなく、両者が競うようにして銀玉鉄砲黄金時代を築き上げていったのである。
以下に両者の特徴を列記してみると…。


ヒゲバネ方式3種。タイガー社製ワルサーPPKモドキ(上)とモーゼルHScモドキ(中)。昭和45年頃のモデルでそれぞれTMG75、TMG77という刻印があるが発売年度ではない。ジャイアント社製HScモドキ(下)。同じ銃でもデフォルメの仕方でかなり変わる。本物の銃口は見かけの銃口の下にある。
◎セキデンオート

長所

短所 ◎ヒゲバネ方式

長所

短所

路地裏の銀玉ガンマンたち



80年代にはセキデンもヒゲバネ式を出した。発射時に銃身が前後するワルサーP38もどき。
 こうして銀玉鉄砲はぼくらの基本アイテムとなった。鉄砲ゴッコをするつもりでなくても、外出時には必ず銀玉鉄砲を持ち歩く。昭和20年代の少年たちが常に携帯していた小刀「肥後の守」に匹敵する地位を獲得したのだ。

版権許諾マーク付きなのにITCをITPと誤植している、怪しいTB2号鉄砲。
 そして銃撃戦は唐突に始まる。ビヨーン、ビヨーンというセキデンオートの音。カチッ、カチッというヒゲバネ方式の乾いた音。それらが入り乱れて路地裏は戦場と化した。休憩タイムにはフィールドに散らばった玉を仲良く拾い集める。拾った玉は自分の物にできるという暗黙の約束があり、必ず、ほとんど撃たないで玉拾いだけに熱中するセコい奴がいた。
 銀玉も銃と共に進化した。最初は±0・5ミリ程度のサイズのバラツキはあたりまえで、すぐ割れては銃の内部を粉だらけにしていたのが、昭和40年代後半には屑プラスチックを型に入れて固めた、割れない高精度のものにかわっていった。
 さて、次回は一転、室内へ。ミリタリーまんが関係の「ソノシート」を大紹介!!

※参考文献『2B弾・銀玉戦争の日々』米沢嘉博・式城京太郎著(昭和57年新評社刊)

(「コンバットコミック」'94年5月号掲載)

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