Top 柴又名画座 No.151 Back
『マトリックス』 (1999年 アメリカ作品)

原題/THE MATRIX
監督/アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
製作/ジョエル・シルヴァー
共同製作/ダン・クラッチオロ
脚本/アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
撮影/ビル・ポープ
特撮監修/ジョン・ゲイター
美術/オーウェン・パターソン
音楽/ドン・デイヴィス
出演/キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・ウィーヴィング、グロリア・フォスター、ジョー・パントリアーノ、マーカス・チョン
カラー シネマスコープサイズ 136分
 今さらながらの初見である。昨年、話題になっているときにはまったく食指が動かなかったのだが、今年になって急に見る気になった。
 昼は平凡なコンピュータ・プログラマーであり、夜は有名なハッカー“ネオ”として活動するアンダーソン(リーヴス)が、ある日、目の前に現われた謎の美女トリニティ(アン・モス)に導かれて、不思議な異世界へと連れ去られる。
 そこでアンダーソンが出会ったのは、モーフィアス(フィッシュバーン)と呼ばれる男だった。モーフィアスはアンダーソンに、「君の生活している世界は現実ではない。仮想的に作られた疑似空間マトリックスなのだ!!」と。そしてアンダーソンの前に信じられない出来事が次々と起こり始めた。
 それにしても、評判と内容がこれほど乖離した作品も珍しいですね。特殊撮影や映像技術があれほど評判になっていたにもかかわらず、そうした部分に関してはほとんど新しさは感じられなかった。数十台のカメラを扇形に並べて同時撮影する手法(マシンガン撮影っていうの?)もとっくにCFで見飽きているし、映画の中での使い方もあまり効果的とは言えない。
 しかしアクションとアクションの間に「ため」や「決めポーズ」が入るという様式美的な表現は日本人好みするツボをおさえているというか、見ていて単純に「カッコイイ!」と思わされてしまうのは確かだ。これを計算してやっているのだとしたら、それはそれで良くできた映画と言うべきなのだろう。

 ところで、映像に関する評判をあれだけ聞いていたにもかかわらず、内容に関する感想は今日までほとんど耳にしなかったというのは、やはり内容が難解でコンピュータ社会の構造などにある程度の基礎知識がないと理解しにくいという点があったのではないだろうか。
 さらに、ストーリー自体は非常にシンプルであるにもかかわらず、現実世界とマトリックスとの関係性に対する説明が絶対的に不足している。
 例えば、マトリックスで倒された人間がなぜ現実世界でも死んでしまうのか(「心と体は一体だ」という説明だけでは納得できない)。
 最初にアンダーソンの体に埋めこまれたエビロボットにはどんな意味があったのか。
 モーフィアスがアンダーソンを“選ばれし者”とした根拠は何だったのか?
 携帯電話回線でマトリックスと現実世界の相互連絡はできるが、なぜ有線電話回線でないと体は移動できないのか。
 そもそも、なぜコンピューターは人間を飼育しているのか(生体電気を利用しているというのは強引すぎ)、などなど……。

 それから、大人向けの映画としてはビジュアルが幼稚すぎるというのも、最近のアメリカのアクション映画やSF映画に共通する問題点だろう。
 以前、柴又名画座でも公開した『インデペンデンス・デイ』もそうだけど、それまでのリアルな風景の中にいきなり出現する宇宙船や異星人、宇宙服、各種メカといったSF的ビジュアルが、どの映画でもあまりに安易で幼稚なのである。
 特撮技術やCG技術が向上したおかげで、よけいにそうしたデザインのチープさが、作品そのものをたちまち色褪せて見せてしまう。
『E.T.』に始まり、『B.T.T.F』とか『ミクロ・キッズ』など、いわゆる“大人も楽しめる子供向けSF”と、元々大人向けに作られたSFとで、ビジュアルに対する考え方が全く同じというのはどうしても納得できない。
 それはこの映画にもそのまま言えることで、冒頭の、屋上での追跡シーンのリアリティに「おっ、『ブレードランナー』的でイカスぞ!」と思ったのも束の間、イカロボットが登場するあたりになると、急にチャチになり、全く興ざめとなってしまうのであった。

(2001/01/22)


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