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『マトリックス』 (1999年 アメリカ作品) |
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ところで、映像に関する評判をあれだけ聞いていたにもかかわらず、内容に関する感想は今日までほとんど耳にしなかったというのは、やはり内容が難解でコンピュータ社会の構造などにある程度の基礎知識がないと理解しにくいという点があったのではないだろうか。
さらに、ストーリー自体は非常にシンプルであるにもかかわらず、現実世界とマトリックスとの関係性に対する説明が絶対的に不足している。
例えば、マトリックスで倒された人間がなぜ現実世界でも死んでしまうのか(「心と体は一体だ」という説明だけでは納得できない)。
最初にアンダーソンの体に埋めこまれたエビロボットにはどんな意味があったのか。
モーフィアスがアンダーソンを“選ばれし者”とした根拠は何だったのか?
携帯電話回線でマトリックスと現実世界の相互連絡はできるが、なぜ有線電話回線でないと体は移動できないのか。
そもそも、なぜコンピューターは人間を飼育しているのか(生体電気を利用しているというのは強引すぎ)、などなど……。
それから、大人向けの映画としてはビジュアルが幼稚すぎるというのも、最近のアメリカのアクション映画やSF映画に共通する問題点だろう。
以前、柴又名画座でも公開した『インデペンデンス・デイ』もそうだけど、それまでのリアルな風景の中にいきなり出現する宇宙船や異星人、宇宙服、各種メカといったSF的ビジュアルが、どの映画でもあまりに安易で幼稚なのである。
特撮技術やCG技術が向上したおかげで、よけいにそうしたデザインのチープさが、作品そのものをたちまち色褪せて見せてしまう。
『E.T.』に始まり、『B.T.T.F』とか『ミクロ・キッズ』など、いわゆる“大人も楽しめる子供向けSF”と、元々大人向けに作られたSFとで、ビジュアルに対する考え方が全く同じというのはどうしても納得できない。
それはこの映画にもそのまま言えることで、冒頭の、屋上での追跡シーンのリアリティに「おっ、『ブレードランナー』的でイカスぞ!」と思ったのも束の間、イカロボットが登場するあたりになると、急にチャチになり、全く興ざめとなってしまうのであった。