エピローグ そしてボールは消えた!?
黒沢哲哉

 小学校5年生の時、ぼくは結成したばかりの草野球チームで2軍キャプテンをつとめることになった。それはぼくの選手としての腕が一流だったから、では全然なくて(笑)、単にぼくより年上が1人しかいなかったからだ。しかも、ぼくはそれまで3角ベース野球以外の野球をやったことが一度もなかった。だが、ぼくには自信があった。幼稚園に入る前から漫画に埋もれて育ったぼくにとって、『ちかいの魔球』をはじめとする魔球漫画の数々はバイブルだったからだ。
「チームを勝利に導くために、魔球投手を養成しよう」
 そう決心したぼくはさっそく特訓を開始した。予約して借りた区営グラウンドは1軍が使っている。だが魔球特訓にグラウンドは必要ない。ぼくは彼らにドブ川の幅10センチほどの梁を駆け足で渡る特訓や、腕の力だけで電柱をのぼる特訓を命じた。1人がドブ川に落ちて泣いて帰った。
 2週間後、わがチームの初めての練習試合があった。2軍は見学だ。しかし形勢はこちらが圧倒的に不利。そこでぼくはおもむろに立ち上がり、1軍監督で6年生のしょうちゃんに進言した。「ひろちゃんをピッチャーに使ってください!」
 ひろちゃんはぼくの魔球特訓にいちばん素直についてきた4年生だ。しかも彼には先週『黒い秘密兵器』を読ませてあった。しょうちゃんはぼくの自信たっぷりの目に何かを感じ、試合経験どころか投手経験すらないひろちゃんをマウンドに立たせた。結果は……惨敗だった。ぼくは、『黒い秘密兵器』より『ちかいの魔球』の魔球の方が投げやすかったかとあとで後悔した。
 その後もチームは負け続け、1勝もせずに1年ほどで解散してしまったが、ひろちゃんはそれからも時々、思い出したようにぼくに言うのだった。「また、魔球教えてよ」

 ある日、寝起きの電話で蕪木統文氏から本書の企画を持ちかけられた時、即座に「やりましょう」と答えなかったのは、眠かったから、というのもあるが、千差万別多種多様な魔球漫画≠フ数々をきちんと体系化できるのだろうかという不安があったからだ。果たして体系化はできなかった(笑)。けど、冒頭にも述べたとおり、野球漫画≠ニいうくくり方からは見えてこない魔球漫画≠セけの持つ魅力を再発見できたのではないかと思う。心残りは、原稿が当初の予定枚数を大幅にオーバーし、増ページしても尚、書き足りなかった作品や、泣く泣く掲載をあきらめた作品があったことだ。まー、それもいつかまた、語る機会はやってくるでしょう。これからも素晴らしい魔球漫画が生まれ続けていくならば!! その時にまたお会いいたしましょう!!
 末筆ながら、楽しいイラストで本書の顔≠作ってくださったイラストレーターのいちかわのりさん、「とにかくハデに」という抽象的な注文を見事なカバーデザインにしてくださったデザイナーの高野さん、折々に適切なアドバイスをくださった三一書房編集部の中島さん、大倉さん。そして有形無形の協力をいただきました多くの皆様方に深く感謝いたします。


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