学生時代っていうのは、もーホント怖いものナシです。自分で興味のおもむくままに好きなことをやってるうちに、それをそのまま仕事にし始めちゃって。だからプロ意識というのがまるでない(笑)。自分じゃいっぱしの学生ライターのつもりで書いてた文章も、恥かしくてとても見られたもんじゃありません。実を言うと今でも文章力なんてほとんど変わってないんですけどね。読み返して恥かしくなくなったコトだけが成長したと言うんでしょうかね。世間ではそれを厚顔無恥って言うらしいですケド…。
自主製作映画 - OFF THEATRE FILM & VIDEO FILMOGRAPHY- |
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地球に逃げて来た時間犯罪者の異星人と、タイムパトロールが繰り広げるスラップスティックコメディ(めちゃくちゃな設定だな・笑)。フィルム編集してて足りないところはその場で紙に絵を描いてそれをコマ撮りしてアニメで追加するという、これもめちゃくちゃな製作方法がとられた。セルがないから、トレーシングペーパーに絵を描き、それを背景の上でアニメーションさせるという、トレーシングアニメ方式(笑)が世界で初めて採用された。
最近のアクション映画はリアルなばかりで面白味に欠ける。作り物であるということを割りきった上で、画面の中でもっと遊んでもよいのではないだろうか。血しぶきが吹きだしたり、汗まみれになったり、反対に法律をものすごく気にしてみたり…そんな似非リアリズムに波紋を投げかけ、活劇本来の楽しさの復活を試みてみた(オフシアター・フィルム・フェスティバル'97応募時の、自己作品アピール文より。うひゃー恥かしい…)。
前作のスタッフを集めて製作する予定だった劇映画第2作。すでに脚本の印刷(ガリ版)まで終えていたのだが、高校時代の仲間が就職活動に突入(ぼくは1浪していたのでまだ3年生だった)したため、スタッフ・キャストが集まらず、流れてしまった幻の作品。
3人の若者が偶然手に入れた古地図の謎をめぐって、数奇な冒険が始まる。
劇映画第2作として準備していた『冒険への地図』が、スタッフ・キャストが集まらずに流れてしまったため、代替企画として一人で製作した人形アニメーション作品。マッドサイエンティスト・コーマン博士が生みだした怪物が、落雷を受け、暴れ出す。実写部分のコーマン博士は無理矢理弟に演じさせた。
「オレの出身高校から、ビデオカメラがタダで借りられるんだけど、何か撮らない?」。大学のクラスメート・矢島くんがそう言ってきて始まった初のビデオ映画プロジェクト。当時まだ超高価で巨大だったベータカムのビデオカメラとビデオデッキをかついで伊豆の白浜でロケを敢行。何しろカメラだけで100万円、重量5kgというプロ用機材とほとんど同じものだったのだ。
主演の篠原由貴子クンは矢島監督のお友達のOLで、超ダイタンなビキニで熱演。ドッキドキの撮影でありました。
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cine magazine 「ふぁにぃかんぱにぃ」 |
1980年春、当時所属していた大学のサークル・WMC(ワセダミステリクラブ)で、会報「PHOENIX」を印刷するのに使っていた古い謄写版印刷機が不用になった。それをぼくがもらいうけたのがきっかけで、一人で編集・制作を始めた映画ミニコミ誌。発行部数も徐々に増やしていったが、仕事が忙しくなり、4号で自然消滅。 2号までは、編集・構成はもちろん、原紙切りから印刷・製本・裁断までを全て自分でやっていた。3号からは軽オフセットにしたので印刷は外部だが、それでも原稿は完全手書き&製本も自前。学生ってヒマなんですね〜。 |