2011年4月21日
MOMENT30周年記念上映会
1981年4月に完成して公開された1本の8mmFILM映画がある。題名は『MOMENT』。監督は当時まだ10代の学生だった手塚眞くん。
この映画の公開からこの4月でちょうど30周年になるということで、渋谷のアップリンク・ファクトリーで上映会とパーティが開催された。この映画にはぼくもスティル写真担当&広報担当&エキストラとして関わっていて、この映画をきっかけにさらに多くの映画仲間との出会いもあったという思い出深い作品である。
会場に入ると懐かしい面々が勢揃いしていた。中には本当に30年ぶりに再会いした人もいて懐かしかった。そういう人と会うと時の流れを感じるのとすぐにあのころに戻れるのとが同時に襲ってきて不思議な感覚に陥りますね。
「みんな身内みたいなものなんで、堅苦しい挨拶はぬきにして~」という手塚くんのざっくばらんな挨拶のあと、まずは当時の上映会の様子を8mmで撮った記録フィルムが流され、続いていよいよ本編の上映に入る。本編はポニーキャニオンからDVDが発売されているが、今回は8mmフィルムでの上映だ。客席の後ろの方から「ジーーーー」という映写機の音が響いてくる感覚も実に懐かしい。
そして久々に見た『MOMENT』、30年前の自主映画でしかも手塚くんのアマチュア時代の作品なのに今でも充分に緊張感を持ってみられるのがすごい。
その後はパーティ会場へ。ここでもいろいろな人と歓談できて楽しかった。気の置けない仲間というのはこういうことを言うんだろうな。
ひとしきり当時の思い出話で盛り上がった後はお互いの近況を交換する。みんなそれぞれに今の活動も、あのころ以上に輝いているのが素晴らしい。
ということで、そんな中でトピックをひとつ......。
まず↓下に紹介したカードは実は大林千茱萸さんからいただいた名刺だ。千茱萸さんは1977年に公開された映画『HOUSE・ハウス』(監督/大林宣彦)の原案者であり、現在は料理研究家として活躍されている。で、なぜここで彼女の名刺を紹介させていただいたかというと、この名刺の絵柄になっている『HOUSE・ハウス』が5月にまた有楽町で公開されるからなのだ。うおお~~~っ!!
『HOUSE・ハウス』といえば、ぼくが映画好きになるきっかけを作った1本であり、当時、この映画にのめりこんだぼくの大学の卒論テーマは「『HOUSE・ハウス』における虚構と誇張の構造」というものだった。当時はビデオなどなかったから、上映会用にフィルムをレンタルしている会社から16mmフィルムを借りてきてそれをビュアーで1コマ1コマカットを数えながら解析コンテを作成。それを元に卒論を書いた。
その『HOUSE・ハウス』がなぜか去年あたりからにわかにアメリカで注目されて再評価されるという動きがあり、そのブームが今年日本へ逆輸入されたのだ。ということですでに何度か日本でも凱旋イベントが開かれていたのだが、残念ながらぼくは行きそびれていたところ、千茱萸ちゃんからまた公開されるイベントがあると教えてもらったのである。
公開される劇場はヒューマントラストシネマ有楽町。イベントはGW中から始まって『HOUSE・ハウス』以外にも、大林監督の劇場用映画の初期作品がイベント付きで一挙公開される。5/7には『時をかける少女』が上映され、その日のイベントゲストは原田知世ちゃん!! うおおっ、い、行きたい!! いや、しかしコレは残念ながら仕事で行けないかも。でも『HOUSE・ハウス』は絶対に行くぞっっ!! ちなみにイベント参加料込み前売り券の販売はチケットぴあのみで、発売開始は上映の1週間前くらいからだそうですので、興味のある人はチェック漏れのなきように。
参考リンク:
ヒューマントラストシネマ有楽町
大林宣彦監督特集上映《大林宣彦のいつか見た映画館と》
※新しいウィンドウが1枚だけ開きます。
投稿者 黒沢哲哉 : 01:43 | コメント (0) | トラックバック
2011年4月19日
むしゃくしゃしたとき見る自動車動画
車を運転するのは大好きなんだけど、それでもときにマナーの悪いドライバーがいたりしてイライラさせられることがある。
だけどそこで腹を立てたら負けである。いや、そんなことを言ったら昔はぼくは負けっぱなしだったんですけどね(笑)。
今はぼくももうオトナになったから、そこはぐっとこらえて平常心を心がけながら、日々安全運転をしています。
皆さんもドライブしてて腹が立ったらこんな動画を思い出して、ぜひとも心を鎮めていただきたい。
ということで、今回はぼくの味気ないコレクションから、ドライブのストレスを解消してくれる自動車動画を2本立てでお送りします。
another_steeringwheel.flv(40sec)
Fiat_Palio_and_cyclist.flv(42sec)
ちなみにこれらの動画は詠み人知らずでネット上に公開されていたものを収集したもので、私・黒沢の著作物ではありません。公開に問題のある画像や動画がございましたらご指摘くださいませ。すみやかに対処させていただきます。
2011年4月18日
あるマジシャンの教え
以前、「少年ガンガン」で『マジック・マスター』という少年向けマジックマンガの原作を書いていた。
だからこのマンガを連載していた当時は、たくさんのプロマジシャンの方々と親しくさせていただいていた。
そうした中のひとりに緒川集人さんというマジシャンがいる。現在はハリウッドに住んでいて、アメリカを中心に世界各地で活躍している一流マジシャンである。といってもぼくより15歳以上若いんですけどね。
その緒川さんが、かなり忙しい日々を送っていたある日のこと、ぼくにポツリと語ってくれた言葉がある。
「やらなくちゃいけないことが多くてやりきれないときって、普通はどれかを省略しようと考えますよね。でもぼくはそうは考えないんですよ」
どういうこと? とぼくが聞くと、
「例えば、やるべきことが3つあるとします。仕事に出かける朝に、犬の散歩をしなくちゃいけないし、朝食を作らなくちゃいけない、服のアイロンもかけなければいけない。時間がなければ普通はどれかパスしたくなるところですが、ぼくはパスしないんです。全部やるんです」
そのときはあまり深く考えずに聞き流してしまったけど、実はこれは自分自身に活を入れる効果的な思考方法だということが後で分かった。
せっかちなぼくは、やるべきことが3つもあったら「あわわ」とあわててしまって、そのうち1つはまったくできなくて、あとの2つも中途半端になる、なんてことがよくある。
しかし! そこで緒川さんの言葉を思い出して「全部やる」と最初に決めてしまうと、もう逃げられないという暗示にかかって腹が据わるのか、不思議と集中力が高まってくる。そして頭の中でテキパキと段取りが組まれ、3つのうち2つくらいは完璧にこなせるようになるのだ。
あとの1つはどうかって? いやいや、そこまではまだ、わたくし修行中の身ですから(笑)。
投稿者 黒沢哲哉 : 22:56 | コメント (0) | トラックバック
2011年4月17日
倉庫の本を玉突き移動
これまでのあらすじ
今年1月、ぼくがマンガとおもちゃの倉庫として借りているアパートの床と柱の基礎が腐って畳が沈み、柱が傾いてしまった。これは危険だということでさっそく大家さんと相談し、床をすべてはがして補強工事をしてもらうことになった。
それはいいのだが、工事をするためには室内にある膨大な本を、いったんどこかへ運び出さなければならない。だけどそんな置き場所はないし、運び出すのも大変だし、困った!
補修が必要なのは、ぼくが借りている3室のうち1階の2室。仮にA室(6畳+2畳)とB室(4.5畳+2畳)とする。そこで、そのうちまずB室にある荷物だけを、高校時代の友人に頼んで友人が仕事で使っている倉庫の片隅に一時保管してもらった。これが2月初めのこと。そして2月中旬、大工さんにはとりあえずB室の補強工事だけをやってもらった。
しかしまだA室の工事が終わっていない。A室の方がB室よりも荷物が多いので、これを外部へ運び出すのは大変だ。そこで今後の計画としては、A室の荷物をまだ空のままになっているB室へ玉突き移動し、その上で空になったA室の工事をおこなうことだ。
上の画像は、その移送前のA室の様子。本棚が直角に交わっている部屋の角の部分で床が沈み込んでいるのがわかる。また右端の本棚も前へ倒れ込んできている。
このA室の方も、仕事の合間をぬって少しずつ荷物の移動をしよう......と思っていたところへ東日本大震災が起きた。幸い倉庫も自宅も平積みしてあった本が崩れた程度で被害は軽かったが、地震が来たのがもし補強工事前だったら......と思うとゾッとした。これは残るA室の工事も急がねば......。
ということで今日!
手つかずだったA室の荷物をB室へと移送する作業にようやく着手した。友人2人に手伝ってもらっておよそ4時間。もう若くないのでゼイゼイ言いながら本棚にして9つ、約50%の荷物を運ぶことができた。あとは来週にでもまた運べれば何とかA室を空にできそう......か?
投稿者 黒沢哲哉 : 21:48 | コメント (2) | トラックバック
2011年4月16日
イラストプロフィールの話
単行本のカバー折り返し部分に掲載されるプロフィールネタの続き。
集英社から出た『HAIKARA事件帖』では、作画の里見桂先生に似顔絵を描いていただいた。それが↓こちら。
な、なんだか里見先生自身の肖像画とぼくの肖像画がずいぶん違うぞ! 自分はかっこよく描いているのにぃぃ!!
後日、里見先生にそのことを言うと「そうかなぁ、よく描けたと思うけど」って言われた。うっうっうっ......。
投稿者 黒沢哲哉 : 22:40 | コメント (0) | トラックバック
2011年4月15日
プレイヤーの肖像(笑)
このブログをJコミ公式のツイートで紹介していただいたら、いきなりアクセス急増でうれしい悲鳴です。アクセスしてくださった皆様、ありがとうございます。
いつもは仕事仲間や友人向けに近況報告をポツポツ書いてるだけのマタ~リした日記ブログなんですが、せっかく来ていただいた方にそれじゃ申し訳ないなので、何か提供できる話題は......と考えて、今回は『プレイヤーは眠れない』のコミックスカバー折り返しに載せたプロフィール写真の話などを少々......。
Jコミで公開されているマンガファイルの『プレイヤー~』ではカバー折り返しが省略されているので見られないんですが、そこには↓こんな写真を掲載していました。
左が正木先生で右がぼくです。もちろんどちらも本人なのですが、我々と面識のある方はよくご存知のように、ふたりとも本当はこんな怪しいキャラではないんです(笑)。
しかし単行本化の際に編集さんからふたりの写真を載せたいと言われて、でも普段通りのキャラで写真を載せてもふたりとも作品のトーンと全然合わないからどうしようと。
で、そういう場合によくやるテとしてはマンガ家さんに似顔絵を描いてもらったりとか、あるいは掲載そのものを断っても良かったんだけど、正木先生と相談してどうせだったら遊ぼうかと。
それでわざわざ自腹でプロカメラマンを雇って撮ってもらったのが上の写真なんです。いや~、でもいま見ると全然失敗してるなぁ(爆)。
本当はぼくは怪しいハッカー風になっている予定で、正木先生も後ろにチラッとキーボードが見えていてハードなロック・コミッカーになる予定だったんですが......。ぼくなんかわざわざ前日に床屋へ行って髪の毛を立たせてシルバーのヘアスプレーで染めてるんですよ! しかしこれじゃどう見ても志茂田景樹だ。
ちなみにぼくの手元にチラッと見えているのが、当時、原稿書きに使用していたEPSONのノートパソコンPC386 NOTE-Wです。EPSONは当時NECのPC-9801シリーズの互換機を出していて、これもそうした1台です。
スペックの記憶が曖昧ですが、液晶は640X480のモノクロ8階調、OSは標準は確かEPSON MS-DOS3.1bだったと思いますが3.1はソフトウェアの互換性に問題があったので、ぼくはNECのMS-DOS3.3cに入れ替えてました。メモリは標準の2MBを8MBに増量、HDDの容量は標準で20MB(ギガバイトではなくメガバイトです)でしたが秋葉原の九十九電気などで40MBの大容量HDDに換装してくれるサービスが流行っていてぼくも換装していました。ワープロソフトは管理工学の『n松』でした。これだけ一式まとめて揃えると軽く40万円超(!)当時のパソコンは高かった......。
投稿者 黒沢哲哉 : 23:05 | コメント (0) | トラックバック
『プレイヤーは眠れない』無料公開開始っっ!
絶版マンガ共有システムを展開しているサイト『Jコミ』で昨日の夜から、ぼくが19年前に原作を書いたマンガ『プレイヤーは眠れない』(作画/正木秀尚)の無料公開が始まりました~~。
Jコミというのは、マンガ家の赤松健先生が運営しているホームページで、絶版となっているマンガを作者の許諾を得て広告付きで無料公開するという画期的な試みを行っているサイトです。少し前から赤松先生が自分の作品などを無料公開してテスト運用を行っていて、今月の12日から正式サービスが始まったばかりです。
その正式サービス開始後の記念すべき公開第1弾として、ぼくの原作の『プレイヤーは眠れない』を公開してくださったのです。
このサイトの画期的なところは、ただ作品を広告付きで無料公開するというだけでなく、ネット上にすでに流出してしまっているマンガの違法ファイルをネットユーザーからJコミに送ってもらい、その中から作者の許諾が得られたものについて広告を付加して再び公開するという試みを行っているところです。これをJコミでは違法マンガファイル浄化計画と名付けています。
すでにネット上に拡散してしまった違法ファイルを回収することはできませんが、違法ファイルとまったく同じものが合法で公開されていれば多くの人が合法の方を選びますよね。そうして読者は合法的に無料で作品を読むことができ、作者も利益が得られるという実に画期的なシステムなのです。しかもユーザーからのアップロードがあれば、Jコミや作者の側でマンガをスキャンする手間も必要ないという。さらには公開する作品を絶版マンガに限っていることで既存の出版社にも不利益はないという。まさに三方一両得の名大岡裁き!!
ぼくがこのJコミの活動を知ったのは3月の初めごろでした。知り合いのマンガ家さん仲間で旅行に出かけたとき、そこに参加されていた仲間のxiさんから教えていただいたのです(ありがとう>xiさん!)
帰宅後、さっそくサイトの紹介文などを詳しく読んで知れば知るほど画期的なシステムだと感動し、すぐにメールを出させていただきました。ぜひぼくの絶版マンガ『プレイヤーは眠れない』も公開してくださいと。
この『プレイヤーは眠れない』は1992年に『週刊ビッグコミックスピリッツ』に短期集中連載され、翌年、徳間書店で単行本化していただいた作品です。コンピュータネットワークの世界を舞台としているのですが、当時はパソコンがやっと普及し始めたばかりのころであり、Windowsも日本語版はいまだ3.0で、キャラクタベースのOSであるMS-DOSが主流の時代です。インターネットも日本では実験サービスがようやく立ち上がったばかりで、パソコンユーザーでさえ多くの人がその名前すら知らないころでした。
ということで、あまりにも早すぎたため、一部では好評をいただいたものの、ほとんどの人にはあまり理解してもらえず埋もれてしまった作品だったのです。
でも作画を担当してくださった正木さんとのコミュニケーションもばっちりで、正木さんも非常に力を入れて描いてくださったこともあり、内容には自信があったから、ぜひどこかで再刊してくれないかな~と思っていたのです。
いや、思っていただけではなくて実際に知り合いの編集さんに本を見せて相談したりもしたんですけどね。
2009年の夏に『サマーウォーズ』というSFアニメ映画が公開されたときには、一部のブログなどで「昔読んだ『プレイヤーは眠れない』というマンガに似ている」と話題になっている、と教えてくれた友人がいて、これはいよいよ時代が俺に追いついたか!?(笑)と思ってもいたところなんですよ。
ということで、Jコミさんでネット公開していただくにはまずこの作品がぴったりだろうということで、正木さんにも電話で了解をいただき、先方にコンタクトを取ったという次第です。
そうしたところ、担当者の方からすぐにお返事をいただき、正式スタート後にはぜひよろしくお願いしますというお話をいただきました。
そして今月12日、Jコミが正式スタートしたところ、さっそくユーザーさんからマンガファイルのアップロードがあったそうで、その中に偶然にもぼくがJコミにお願いしていた『プレイヤーは眠れない』があったので早々に公開したいとの連絡をいただいたのでした。もちろんぼくの方としては大歓迎ですので、正木さんにも連絡を取り、幸運にも光栄にも、Jコミの正式スタート第1弾として公開していただく運びとなったのです。Jコミの中の人たち、ありがとうございます!!
公開後はさっそくツイッターで続々と反響や感想が寄せられ、Jコミの活動への注目の高さをあらためて知りました。この作品を当時読んで覚えていてくださった方もたくさんいて、それもとてもうれしかったです。ここで初めて読まれた方にも気に入っていただけるとうれしいな~。紙の本と違って品切れはありませんので、いつでもお好きな時にお読みいただけます。19年前の作品ではありますが、今だからこそ分かっていただけるネタなども満載かと思います。全1巻完結で194ページとわりと気軽にサクッと読める長さですから、ぜひお時間のあるときに読んでみてください。
Jコミのこの試みが成功すれば、マンガだけでなく小説などさまざまなものに応用が利くはずです。『プレイヤーは眠れない』以外にも無料で読める絶版マンガがいろいろ公開されていて、今後もその数は増えていくそうですから、ぜひぜひ皆さん、アクセスよろしくですぅ~~~~。
参考リンク:
Jコミトップページ
『プレイヤーは眠れない』公開ページ
※新しいウィンドウが1枚だけ開きます。
投稿者 黒沢哲哉 : 00:36
2011年4月 1日
3月のお仕事ダイジェスト
今回の震災の名称は、今まで報道機関ごとにまちまちだったのが、今後「東日本大震災」に統一されるみたいですね。
被災地域が広範囲にわたっているので、なかなかぴったりした呼称が決まらなかったんだと思います。まあ「東日本」とすれば外れる地域はなく単純で覚えやすいとも言えますが、ざっくり「東日本」と大雑把にくくってしまうと、震災の被害を受けていない地域も含まれてしまい、そこも被災地という印象を持たれて観光客が減ると困る、という意見などもあると聞きました。まああちらを立てれば......というところなんでしょうね。
さて、そんなこんなでいつの間にか3月も終わってしまいましたので、3月のお仕事ダイジェストです。
2/25
電車で池袋へ。今日は、手塚治虫公式サイトのコラム『虫さんぽ』第15回の取材で、鬼子母神近くの並木ハウスへ行くのだ。並木ハウス前で手塚プロI藤さん、元講談社編集者で手塚番だった丸山昭さんと待ち合わせ。並木ハウス大家さんの奥様の案内で取材をおこなう。詳しくはこのエントリーのずーっと下の方、3/31のリンクから、公開された記事でご覧ください。
3/3
14:00、電車で高田馬場へ。手塚プロでプロデューサーのI藤さんと、手塚治虫公式サイトコラム『手塚マンガあの日あの時』第16回のネタ打ち合わせ。今回は、前回のネタの続きなので、大きく悩むこともなく方向性が決まった。
3/5
手塚治虫公式サイトのコラム『虫さんぽ』第15回の原稿を執筆。
3/7
11:00、電車で神保町へ。小学館クリエイティブで編集のM形さんと、小学館の学習図鑑進行打ち合わせ。予定より遅れているのでかなりハッパをかけられてしまった。しかし進行状況の確認だけだったので、打ち合わせ自体はものの10分で終わった。
次の打ち合わせまでだいぶ時間が余っているので、文京ふるさと歴史館でやっているおもちゃ絵の展覧会を見学しようと思い、地下鉄で春日へ向かう。
ところが! 春日駅を降りたところでふと気がついた。今日は月曜日で休館じゃないかっっ!! ガーン。
シオシオとなって、そのまま神保町まで戻り、ドトールでお茶を飲んで時間をつぶした。
13:00、九段下のミリオン出版で編集のN島さんと『漫画実話ナックルズ』のマンガ原作打ち合わせ。今回は締め切りまでほとんど余裕がなく、なんと15日に決定稿を入れなければならないという。急がねば。
3/9
自宅で『漫画実話ナックルズ』の原作を執筆。
3/10
14:00、電車で東銀座へ。昭和通り沿いの喫茶室ルノアールで、いそっぷ社社長S藤さんと単行本企画打ち合わせ。S藤さんとは月イチペースでお会いして、その段階で書き上がっている原稿をお渡ししているのだが、今回もほかの締め切りやアパートの片付けやらがいろいろあって少ししか原稿をお渡しすることができなかった。がんばらないと。
3/11
午後、友人を乗せて、車で近所の目医者さんへ向かう途中で大地震に遭遇した。この日はぼくの友人など多くの人が仕事に出ていて帰宅困難者となった。ぼくも前日のこの時間は銀座で打ち合わせをしていたので、これが1日ずれていたら、ぼくも銀座から歩いて帰ることになっていた。
この日は『虫さんぽ』第15回の原稿を今日中に仕上げる予定だったのだが、さすがにそれどころではなく週明けに延ばしてもらった。
3/12
『漫画実話ナックルズ』の原作第1稿を執筆。完成した原稿をメールで編集部へ送る。
3/12-13
小学館クリエイティブの編集I丸さんから電話があり、プロジェクトPは週明け締め切りに変更なし、とのことなので福島第一原発の状況が刻一刻と変化する中、落ち着かないながらも仕事に専念する。
その後、書きかけていた『虫さんぽ』の原稿の仕上げに入る。
3/14
プロジェクトPの原稿と虫さんぽの原稿をそれぞれメールで送信する。
ミリオン出版編集N島さんから電話があり『漫画実話ナックルズ』の原作について若干の訂正を依頼される。
3/15
『漫画実話ナックルズ』の原作第2稿を執筆。完成した原稿をメールで編集部へ送る。
その後、N島さんから返事があり、これでOKとなった。
3/16
小学館の学習図鑑のイラストをイラストレーターさんに電話とメールで発注。しかしイラストレーターさんがお住まいの地域が計画停電地域に入っており、なかなかスムースに打ち合わせが進まない。
3/17
小学館の学習図鑑原稿執筆。
3/20-23
小学館の学習図鑑のラフコンテ作成。
3/24
14:00、電車で神保町へ。小学館クリエイティブ編集のM形さんと一緒に小学館へ出向き、小学館編集K原さんと学習図鑑ラフコンテ打ち合わせ。
帰宅後、さっそく指摘された部分の修正作業に入る。
ちなみにこの日、ぼくは震災後初めて電車に乗ったんだけど、乗客がかなり少なく、何となく周囲の空気も殺伐と感じられた。
東武線と地下鉄線の相互乗り入れなどが中止となっていた以外は、ダイヤの乱れもなく淡々と時が過ぎているのだが、それでも駅では行き先案内板の電気が消されていたりと、何となく暗い。照明って大事なんだなぁとつくづく感じた。
3/25
集英社編集のI澤氏からメールがあり、4月末に刊行予定だった単行本が、紙の手配がつかず2ヵ月ほど発売延期されたとのこと。聞けば東北には巨大な製紙工場が2つあり、そこが被災したため、出版業界全体で印刷用紙不足に陥っているのだとか。さらに印刷インクも不足しているという。そんなこんなで、他社でも刊行延期されたりした本や雑誌があるとは聞いていたが、ついにぼくの本にも影響がおよんでしまった。残念ですけど仕方ないですね。ギャラが先払いだったのがまだ良かったですが、今後もどうなっていくか、ぜひ1日も早い復興を願うばかりです。
3/28
14:00、電車で神保町へ。集英社編集I澤氏と次回単行本企画の打ち合わせ。
16:30、電車で高田馬場へ。手塚プロプロデューサーI藤さんと、次回『虫さんぽ』企画打ち合わせ。
この日、『カラー版鉄人28号 限定版BOX3』が発売されて我が家にも見本が届いた。これは『鉄人28号』の最初の白黒アニメがテレビ放送されていた当時、光文社から刊行されたカッパ・コミクス版『鉄人28号』全20巻を当時の色刷りもそのままに復刻したもので、3つのボックスに分割して刊行された。今回がその完結編。ぼくは各巻の巻末に鉄人の時代を振り返るコラムを執筆しています。興味のある方はぜひ!
鉄人28号 3 カラー版 限定版BOX 横山 光輝 小学館クリエイティブ 2011-03-28 by G-Tools |
ちなみにこの鉄人BOXシリーズはあと2BOX刊行される予定で、それは光文社からハードカバーで刊行された単行本の復刻版となる予定だ。
3/31
14:00、電車で神保町へ。小学館編集M山さん、小学館クリエイティブ編集M形さんと学習図鑑ラフコンテ打ち合わせ。
その後、レイアウトを担当してくれるデザイン事務所を訪ね、イラスト指定について打ち合わせ。
この日は大したことをしていないのに、帰宅するともうぐったりと疲れ切ってしまい、やるべきことは山積していたのだが、この日はもうオフとする。
この日、手塚治虫公式サイトの連載コラム『虫さんぽ』第15回が公開されました。冒頭でも書いたように、今回の目的地は手塚治虫が昭和20年代の終わりに仕事場として借りたアパートがそのまま残っているという、豊島区雑司が谷の並木ハウスです。下記のリンクからぜひお読みください!!
虫さんぽ第15回「東京・豊島区雑司が谷 並木ハウス周辺を歩く
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