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2008年12月 4日

お仕事ダイジェスト+α

 また書き込みが滞ってしまったので、まとめ書きです(汗)。

 11/25
 8:18、「学習まんが人物館」の第1章第1稿がようやく完成。メールで編集部へ送る。
 午後、連絡があり、微調整でOKとなった。引き続き第2章の執筆にとりかかる予定。

 11/26~
 そのまま、「別冊漫画ゴラク」の『龍のおんな』原作の第4話第1稿の執筆にとりかかる。

 11/30
 原作の執筆を一時中断(本当はこの日までに書き上げている予定だったんだけど......)。
 今日は「G-Diary」のコラムの締め切り日なのだ。まずはページで紹介する昔の本やレコードを撮影するんだけど、撮影スタジオがあるわけじゃないから、大きいものは玄関先に紙を敷いてそこで撮る。天気が悪かったり風があったりするとひと苦労なんだけど、今日は天気も良くて絶好の屋外スタジオ日和(?)であった。
 続いて原稿を執筆。いつもは撮影&資料の読み込みに1日、執筆に1日をかけているが、今回はアトがないので撮影から原稿執筆までを1日でこなす。キビシーッ!!
 さらに今回は書きたい内容がありすぎてとても2ページにおさまらなくなり、内容を縮めるのに四苦八苦した。いやー、もったいない。

 12/01
 ふたたび『龍のおんな』原作の第4話第1稿の執筆の続き。
 6:28、完成した原稿をメールで編集部へ送る。午後、編集担当のT橋さんから電話があり、基本OKとのこと。翌日、微調整をした第2稿を送り、OKとなる。

 12/03
 去年の春から今年の夏まで、柴又のおもちゃ博物館で、毎日曜、ぼくが店番をやってイベントをやったりしていた。しかし夏以降本業がかなり忙しくなってしまったので、オーナーのKさんや一緒にイベントを企画していた仲間たちと話し合って、店番とイベントをやめることにしたのだ(※おもちゃ博物館自体は好評営業中ですので今後ともよろしくお願いします)。
 ということで、ぼくの店番引退にともなって、博物館で毎月1回マジックショーを開催してもらっていたプロマジシャン事務所ウイザードインへ、博物館に置いてあったマジック道具を車で返却にうかがった。
 14:30、予想より道が空いていたため、予定より30分早く代々木のウイザードイン事務所へ到着した。事務所にはマジシャンの林敏明さんがいらっしゃったので、車を駐車場に入れてしばし歓談。しばらくすると、若手マジシャンの遠藤大河くんがやってきたが、マジシャンにとっては書き入れ時の年末の時期であり、皆さんお忙しそうだったので、積もる話もあったが、早々に引き上げた。

20081203a.jpg 車での帰路、お気に入りの水筒サーモスJMX350に入れて持っていったコーヒーが効いたのか、小用を催したので、両国駅前の公衆トイレを借りた。ところでこの両国駅、昔から変わらぬデザインが実にいい。学生時代に蔵前の酒屋さんで配達のアルバイトをしていて、両国駅脇の居酒屋さんへ毎日生ビールのタンクを配達に行っていたことを思い出す。あのころと全然変わってないです。

20081203b.jpg ところで、マジック道具を回収しにおもちゃ博物館へ行ったときに、オーナーのKさんの奥さんから、「賞味期限が1か月しかないから良かったら食べて」と言って、駄菓子をカートンごと大量にいただいてしまった。ありがとうございます!!
 内容は焼肉さん太郎(菓道)60袋×1、わさびのり太郎(菓道)60袋×2、そばめしスナック(やおきん)30袋×1の3種類4カートン。わさびのり太郎は2カートンあったので、1カートンはウイザードインにおすそわけ。
 残りは全てぼくが美味しくいただく予定です。UFOキャッチャーでたまに大量のうまい棒とかをゲットすることもありますが、全て食べきりますから、1か月あれば余裕です。
 ということで、焼肉さん太郎は、撮影前にガマンできずにかなり食べてしまいました(笑)。
 焼肉さん太郎とわさびのり太郎は定番のお菓子で、ノシイカに焼肉味、わさびのり味のタレが染み込ませてあるもの。ぼくの記憶ではこのタイプの駄菓子が登場したのは80年代前半ごろで、今回の2種類はそのバリエーションだ。
 しかしそばめしスナックというのは今回初めて食べた。細かく砕いたインスタントラーメンとライスパフ(あられ)に粉末ソースで味付けしてあるもので、ピリッとした野趣あふれるソース粉末が駄菓子の王道の味といった感じで、じつにウマかった!

20081203c.jpg ただし、ご覧のとおりビジュアルはちょっと微妙......(笑)。
 子どもなら、袋の端を切ってそのまま口にザーッと流し込むか、手の平に少し出して手の平ごとペロペロと舐めるのが正しい駄菓子の食事マナーだとは思うが、ぼくは小皿にあけてスプーンで食した。邪道なのは認める(笑)。

20081204.jpg 12/04
 いよいよ寒くなってきて、エアコンの暖房だけでは部屋が暖まらなくなってきたので、部屋の荷物を物置へ運んで部屋を片付け、今夜あたりからファンヒーターを稼動させることにした。
 原稿を書くときに、その都度、資料として必要になったおもちゃや本などを物置から運んでくると、知らぬ間にそれが部屋の中に積み上げられていき、部屋が埋まってしまうので、こうして定期的にまた物置へ戻しに行くのだ。
 ということで、車にお宝を積んでいると、その横のゴミ集積場所には、ちょうど本日回収予定のプラゴミが山積みとなっていた。
 他人がみたら、車の中に積んであるものもゴミにしか見えないかも知れないが、車の中にあるのはすべて大切なお宝ばかりなのである。画面の左端にあるのはゴミ、そして車の中に積んであるのはお宝。間違えてはいけないのである。
 それから、こうしてゴミ集積所のすぐ横で荷物を積み込んでいると、ゴミの中から売れる品物だけを漁っていく廃品回収業者の抜き取りに見えないこともないが、それとも間違えてはいけないのである。

投稿者 黒沢哲哉 : 2008年12月 4日 23:30

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コメント

子供の頃、チューブ入りの液体チョコレートが好きでした。私の親は私がそれを食べて(吸って?)いるのを嫌がりましたが。
小袋入りのラムネや4個入りのガムが5円の時代のお話です(笑)。

投稿者 ブルーベリー : 2008年12月11日 07:12

>ブルーベリーさん
チューブのチョコはぼくも大好きです。
あのチューブをチューチューするときのデカダン(笑)な雰囲気
がいいんですよね!
最近はフルタで出しているのしか見ないですが、昔はタカオカ
のまんがチョコレートがうちの方ではメジャーでしたね。
マドロスパイプの中に入ったチョコもまだ売っているようですが、
あれもあまり見かけません。
おいしいのにね!
ただし、味は昔食べた味とは違う気がします。今のは水あめ
の味と舌触りに近いというか。昔のはもっと砂っぽくジャリッ
とする粉末状の何かが入っていたような気がします。

投稿者 黒沢哲哉 : 2008年12月12日 10:58

マドロスパイプのチョコは知りませんでしたが、煙草の格好をしたチョコは好きでした。何故か、私の母は弟が駄菓子屋に行くことは何も言わなかったのに、私が駄菓子屋に行くことには余りいい顔をしませんでした。

水飴と言えば、大根を入れて暫くしてからその大根が溶けたお汁を飲むと、意外と咳に効き目があります。

投稿者 ブルーベリー : 2008年12月17日 07:57

>ブルーベリーさん
マドロスチョコというのは↓こういうのです(^_^;)
http://www.dagashino-shibasaki.com/cgi/products.cgi?mode=detail&Category=A02&Products_ID=Products-398

水あめといえば、ちょっと仕事で調べていたら、水あめは砂糖か
らではなくて、でんぷんから作れるんだそうですね。
それで、昔から紙芝居には水あめだったのか。安いから。

風邪のひきはじめには、ぼくはみかんを大量に食べると快復する
ことがよくあります。
ぼくが小学校の時からかかりつけだった近所のお医者さんが、
数年前に老齢で亡くなってしまったので、安心してかかれる医者
がおらず、今はうかつに風邪もひけなくなりました。

投稿者 黒沢哲哉 : 2008年12月18日 01:20

マドロスチョコを見てきました。駄菓子がインターネットで購入できるとは。

水飴がデンプンから作られているとは考えてもいませんでした。或るところに紙芝居をネタにした短編小説を応募したことがありますが、水飴が何から出来るかまでは調べませんでした。
どちらにしてもその小説は没でしたが。

夫や娘が余り蜜柑を食べませんが、私は大好きです。
我が家は転勤族ですし自宅も買い替えたので、引っ越しの度にお医者様探しが大変です。ですから、我が家には診察券が何枚もあります。
手術を受ける時は夫の勤務先の福利厚生の担当者に紹介状をお願いしましたが、日常の事までは・・・。

投稿者 ブルーベリー : 2008年12月25日 07:11

>ブルーベリーさん
紙芝居屋さんは、10数年前まではうちの近くにまだ来てたのですが、最近は全く見なくなりました。その紙芝居屋さんは当時、「紙芝居屋は東京にもう三人しかいない」と語っていたのですが、その三人ももう廃業されてしまったのでしょうかね。
今も大道芸のイベントとかで見る紙芝居屋は、子どもに対して必要以上に愛想が良く、明るく健康的なところがどこかイミテーションっぽい気がします。昔の紙芝居屋は無愛想でちょっと恐くて他人を(特に大人を)寄せ付けないところがあって、どこかワケアリ風な怪しさが満ちていたんですよね。テキヤさんに近いけど、それともまた違うという……。

投稿者 黒沢哲哉 : 2008年12月26日 12:58

実は私は紙芝居を見たことがありません(大人になってからイベントで見たことはあります)。夫から幼い頃に見たことがあると聞いていました。それで小説に使ってみました。
紙芝居は子供が言葉を覚えるいい機会だと思ったのですが、紙芝居そのものが何かが分からない時代になってきたわけですね・・・。
昔は自分の親が教えられないことを子供の周りの環境がそれを補ってくれていたのですが、拝金主義の世の中ではそう言うこともあり得なくなって来たということですね。

投稿者 ブルーベリー : 2008年12月27日 09:18

>ブルーベリーさん
ブルーベリーさんも本物の紙芝居は見たことなかったんですか。それは残念でしたねー。葛飾区で育ってたら十分見られたんですけどね~。日本全国どこかに残っているんだったらぜひ見てみたいなぁ。
けど、昔の紙芝居でも、たまに幼児を連れて親が来てたりすると、それだけでその場の雰囲気が変わってしまっていたので、やはり子どもだけで体験するあの濃密な時間はもう絶対に得られないということですね。

投稿者 黒沢哲哉 : 2008年12月30日 00:33

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