2008年10月28日
新潟日帰りドライブ
今日は所用があって新潟まで日帰りドライブなのだ。東京から新潟へ直行するには関越自動車道でまっすぐ行くのが最短だ。だけど最近は高速道路網が発達しているから、最短でなくていいなら、いろいろなルートが選択できる。そこでせっかくだから、往きと帰りで違う道を通ってみることにした。通ったのは地図の通り。関越から上信越道へ折れ、長野自動車道を通って北陸道へ。そして関越道で帰ってくるというルートである。
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午前10時、愛車ボンゴフレンディで自宅を出発。本当はもっと早く出るはずだったんだけど、寝坊した。
三郷南ICから外環に入り、大泉へ。ここから関越自動車道を北上し、藤岡JCTを左折して上信越道へ向かう。先日タイヤを交換してハブリングも装着したので、高速走行も快適である。
途中通過する横川SAで名物の峠の釜飯を買いたいところだけど、残念ながら峠の釜飯は上り車線側のサービスエリアでしか販売していないのだ。だがそれでも今回あえて時計回りを選択した理由はいずれ分かる。
写真は、軽井沢を通過して最初に休憩した上信越道佐久平PAでのスナップ。この時点で12:59。お腹が空いたのをガマンして、そのまま上信越道を下り、更埴JCTを右折し長野自動車道を北上する。
妙高高原で県境を越え、長野県から新潟県へ入る。そして14:16、ようやく最初の目的地である新井PA(地図内のカメラマーク1)に到着した。実は、ネットで事前に情報収集をしたところ、ここのきときと寿司という回転寿司が安くて美味しいと評判だったので、ぜひここで昼食を食べようと思っていたのだ。
ところが新井PAというのは、トイレと自販機くらいしかない寂しいパーキングエリアで、寿司屋さんなんてどこにもない。あれぇ、おかしいなぁ......。と思ったら、このPAの裏側が道の駅になっていて、パーキングエリアに車をとめて、徒歩で道の駅へ行けるようになっているのだった。最近よくあるハイウェイオアシスというやつである。
そしてようやくきときと寿司を発見。14:24、やっと昼食にありついた。昼食時間を過ぎているので、お客さんは5~6人ほど。レーンには何も流れておらず、板さんに直接オーダーする。値段は100円台のお皿から600円台のお皿まであるが、252円、347円、462円という3種類のお皿がメイン。めったに来られるわけじゃないから、マグロとかイカとかウニとか、そういったどこでも食べられるネタはパス。今回は地元産のおすすめネタを集中的にオーダーした。地物アジ、地物甘エビ、白魚の軍艦巻き、活けつぶ貝などなど。どれも新鮮で美味しい。合計9皿を食べて会計は2931円。満腹で満足でした。ふー。
ということでぼくのお腹は満タンになったが、フレンディもそろそろガスを入れないと。新井PAにはガソリンスタンドがなかったので、次にスタンドのあるSAがあったら立ち寄ろう、と思って走り出したが、いつまでたってもガススタ併設のSAが現れない。しだいに不安になってくる。
上越JCTを右折して北陸自動車道へ。ガススタのあるSAはまだ現れない。メーター読み概算で、多分まだ50km以上は走れるはずだが、何キロ先にあるか分からないので不安がつのる。
ところでこのあたりは、いたるところで震災被害の復旧工事をしていて車線規制されている。未修復の部分を見ると地震の大きさが想像できる。
そして次の目的地、米山SA(地図内のカメラマーク2)に到着。すると、なんとここにガススタがあることが判明。よかったー。やはり知らない土地では、早めの給油が吉である。
と、ひと安心して展望台から日本海を見渡す。展望台にあったタイル画の地図によれば、晴れた日には海の向うに佐渡島が見えるようだ。
けれども、北陸道へ入ってからは曇りになってしまったため、あいにく佐渡島は薄ぼんやりとしか見えなかった。
日本海を見るのは、10数年前に取材で高岡を訪ねたとき以来だ。やっぱ海の色が太平洋とは違うねー。潮の香りも何となく違う気がする。
さて、先ほど「あえて時計回りのルートを選んだ」と書いた、その理由がコレ。鯖サンド(レギュラーサイズ250円)である。サバのフライがコッペパンにはさまれたもので、これが米山SAの下り側でしか販売していないのだ。トッピングのサラシ玉ねぎは自分で入れ放題。さらにレモン汁とコショーを振りかけて食べる。写真は無料のお茶とのツーショット。寿司で満腹になっていて「入らないかも」と思ったけど、ペロリと平らげちゃいました。あえて時計回りルートを選択した価値大アリの逸品。レモン汁は多めにかけた方がサッパリ感が増しておすすめです。ちなみに、北陸自動車道は、下りの方が海側に近いところを走るので景色もいいのです。
あとは用事を済ませ、長岡JCTから関越自動車道へ復帰し、一路東京を目指すだけ。途中、北海道のように、何キロも一直線の道が続くところがあった。気持ちいー。
写真は越後川口SA(地図内のカメラマーク3)で休憩を取ったときのスナップ。17:17の写真でもうこの暗さ。さらにSA内をぶらぶらしているうちに、すっかり真っ暗になってしまった。まさに秋の日はつるべ落としである。
21:34、無事帰宅。車のフロント部が虫の死骸ですごいことになっていたので、コイン洗車場でフロント部分だけを念入りに洗車する。総走行距離718km、所要時間11時間、消費燃料82.12L、平均燃費8.7km/Lでした。
久々の長距離ドライブはものすごく楽しかったし、きときと寿司も鯖サンドも美味しかったので、機会があればまたぶらりと行ってみたいですが、あいにく北陸はもうじき冬になってしまう。そうすると雪と路面凍結で簡単に走れるわけじゃなくなってしまうから、行くとしたらまた来年の春以降ですね。
投稿者 黒沢哲哉 : 23:46 | コメント (2) | トラックバック
2008年10月24日
フレンディちょっと改良
仕事が一段落したので、寒くなるまえに愛車ボンゴフレンディの前から気になっていた部分に手を加えた。
とにかくずーーーっと前から早く手を付けたかったのが、助手席下にゴッチャリととぐろを巻いていた大量のコード類である。ナビやアンテナブースター、バックカメラ等々を成り行きで追加していった結果、それらの電源コードがすべてここに集まり、余ったコードが山になっていたのだ。どっしゃーっ!!
実は前のパジェロのときもこうなっていた結果、たびたび電気系のトラブルに見舞われていたわけだけど、学習しないというか何というか、いつの間にかフレンディもこうなってしまったのだった(笑)。
いや、笑ってる場合じゃないっすよ、このままだとまた接触不良を起こすし、最悪、車両火災も引き起こしかねないのです。やばいです。そこで、ネットで他の人がやっているのを参考にして、今回、端子台ボックスを導入することにしたのであった。
ということで、写真が設置した端子台ボックスである。まだ右上に余っているコードが見苦しいが、少なくとも、これで端子がショートしてしまうような危険性はなくなった。
端子ボックスは、ネットオークションで購入した27極の端子台(極数可変)を、100均で買った樹脂製のケースに納めたもの。製作時間はおよそ5時間。端子台はかなり前に入手してあって、後からケースを探したんだけど、偶然にもぴったりの大きさのケースが見つかってラッキーだった。
ボックス左から出ているブルーの太い線は、秋葉原で購入した7.5sqのアース線(1m380円、高い!)。配線やリレーを固定している茶色の基盤プレートも秋葉原で購入。リレーとヒューズケースは、パジェロの時に使用していた自作アイソレーター(サブバッテリー充電システム)をバラして取り外したものなので今回かかった経費は無料だった。
ACC(アクセサリー電源)とイルミ電源は、このリレーをかませてバッテリーから直接電気を取り出せるようにしたので、各端子の容量にも余裕ができた。下から出ているコードが各電源の取り出しコードで、左からアース(黒)、ACC(赤)、常時電源(黄)、イルミ(青)である。
端子はまだ十分余っているので、今後、予定している電装品の追加にも対応可能だ。また、サブバッテリーの取り付けも予定しているので、その際には、再び配線を変えて、任意のアクセサリー電源のみサブバッテリーから電気を供給するシステムに変更予定である。ということで、サブバッテリーの取り付けも早く寒くなる前にやりたいんだけど......無理そうだなぁ......。
それから、2年前に中古でアルミと同時に購入したタイヤにヒビが目立ちはじめたので、またまたネットオークションで中古タイヤを購入、いきつけの整備工場で交換してもらった。実は前輪は半年ほど前に先に交換済みだったので、今回は後輪だけ。旧タイヤはブリヂストンのB500siだったが、今回はミニバン専用タイヤ、ブリヂストン REGNO GRVにした。後輪だけだし中古なのでインプレッションを書くほどのことはないが、若干ロードノイズが減ったような気がする。
また今回、同時にハブリングも装着してみた。ハブリングというのは、社外品のアルミホイールを装着する際に、ホイールの中心のハブ(車軸)部分に取り付けるリングのことだ。社外品のアルミホイールの場合、自動車メーカー純正のホイールと違い、ホイールの内径が大きめに作られている。そうしないといろいろなメーカーの車に取り付けられないからだ。
一般的に社外品のアルミホイールの内径は73mmというものが多い。それに対して例えばマツダ車の場合、ハブの直径は67mm。この6mmの隙間を埋めるのがハブリング、あるいはハブカラーと呼ばれる部品なのである。このハブリングを取り付けることで、車軸の中心軸とタイヤの中心軸がぴったりと合い、高速走行時などにタイヤがブレるのを防止してくれるのである。
通常はハブリングを使用しなくても、ほとんど問題は出ないが、逆にハンドルがぶれるなどの問題が出た場合には、これを装着することで解決できる場合がある。
ぼくのフレンディの場合、110km付近でホイールバランスが狂っているような、ハンドルが振動する症状がわずかに出ていたので、今回、導入してみたのだが、結果はブレがぴったりとおさまり大成功でした。
投稿者 黒沢哲哉 : 23:20 | コメント (0) | トラックバック
2008年10月22日
締め切り第2弾→風邪で50%パフォーマンスDOWN→復活!!
これまでのあらすじ
先々週、タイトロープな締め切りを辛くもクリアした黒沢は、映画の試写会などにも行ったりして、ようやく人間並みの生活を送り始めていた。
だが......、世の中はそんなに甘くなかった。その先にはまた新たなる試練が待ち受けていたのだった!
9月10日(金)、伸びきった髪の毛を整えるべく、いつもの京成高砂のヘアーサロンFujiへ行き、ようやくすっきりとする。
夜、久々にケーブルテレビで映画など見ながらのんびりと過ごす。締め切りはまだ2つほど残っているが、ミリオンの方を土曜日中に上げて、小学館の学習図鑑の方は週明けまでにやればOK!
と、思っていたら! 深夜12時を過ぎてから、小学館クリエイティブのI田編集長からいきなり携帯に電話がかかってきた。
I田「黒沢くん、今日からぼくね、この学習図鑑の方も見ることになったんでよろしく。ところで聞いてる? 学習図鑑の締め切り、今日なんだけど」
黒沢「ええっ、今日ぅぅ!? 聞いてないですよ。担当のM村さんからは、1時間ほど前にメールが来てて、「明日も出社するので何か上がってたら送ってください」とは書いてあったけど」
I田「ごめん、それがね、そんな呑気な状況じゃなくて、週明けにはもう全部入稿しなくちゃいけないの。だから黒沢くんの担当分の原稿、今日中に全部欲しいんだけど」
黒沢「そ、そ、そんなこと今日になっていわれても無理ですよ。もっと早めに言ってくれてればできたのに......」
I田「ほんとごめん! 何とかならないかな」
黒沢「うーん......それじゃあ、ミリオンの方を待ってもらって、こっちを先にやりますけど、明日までに全部は無理ですよ」
I田「それでもいいから、ホントごめん!!」
どっかで見たパターンである。そう、小学館クリエイティブが編集した、新星出版社の『戦闘機のしくみ』のときと全く同じなのだ。
ということで、なんだかいきなりあわてて学習図鑑の原稿を書き始める。資料はもう揃っているから、あとはひたすら書くだけなんだけど、小学生向けのお勉強の本だからいい加減な内容で逃げるわけにもいかず、文字数にもボキャブラリーにも制限があって、普通の記事原稿の3倍くらいの時間と労力がかかるのだ。
結局、土曜日中に2見開きを完成させ、日曜日にラスト1見開きを完成させてメールで送る。ふーーーーー。
連休だし、泊まりの旅行の予定なんか入れてたら完全にアウトだった。まぁ、出不精なぼくがいきなり旅行の予定なんて入れることはないけど。ともかく、これは後で反省会ですね>I田さん(笑)。
10月13日、中断していたミリオンの原稿の方を執筆。こちらは問題なく書き上げ、メールで送信して終了。
10月14日、引き続き、小学館の学習まんが人物館のプロットに取りかかる予定だったが、疲労がドッと出てやる気がでないので、柴又名画座を開館することにした。2001年にケーブルテレビで放映されたのを録画しておいた前田陽一監督、天地真理主演の映画『虹をわたって』(1972年松竹)を見る。
学生時代に見て以来だから数十年ぶり。天地真理ファンのぼくとしては、絶頂期の妖精のように可憐な真理ちゃんの姿に出会えて元気100倍......と思ったら、夜になってだるさはさらに増してきた。
うわぁ~、こりゃ本格的に風邪をひいてしまったぁ~。
ということで、松戸のスーパー銭湯湯楽の里 松戸店へ行ってサウナに入るも回復せず。
10月17日、朝起きたら少し回復していた。17:00、電車で神保町へ。いつもの喫茶店古瀬戸で、「別冊漫画ゴラク」編集のT橋さんと、次回『龍のおんな』第3話プロット打ち合わせ。この作品に関しては、すでに全体のストーリーラインは最初に組み立ててしまったので、あとは細部の盛り上げ方についての打ち合わせをするだけ。どれだけ楽しくできるか、緊張感を切らさずにやっていきたいですね。
打ち合わせ後、にんにくパワーで風邪回復を期待して、神保町交差点近くにある天鴻餃子房で餃子定食をモリモリと食べる。これで治ってくれるといいんだけどねー。
10月20日、結局、風邪は週明けまで引っぱってしまったが、日曜日にみかんを山ほど食べてようやく復活した。
午前10:00、「週刊漫画ゴラク」編集のSさんと柴又駅前で待ち合わせ。次回読み切り用の作画資料として、柴又の知り合いのバイクショップに取材撮影をお願いしていたのだ。取材は30分ほどで無事終了し、Sさんは編集部へ戻っていった。
ところで、Sさんに依頼されて先週書き上げた、この「ゴラク」用の読み切り原作であるが、ぼくは「別冊漫画ゴラク」に掲載されると思っていたら、なんとSさんはごぶさたしている間に「週刊漫画ゴラク」編集部に異動になっていて、「週刊漫画ゴラク」に掲載されるということを、このとき初めて知った。
「もしかして私、黒沢さんに異動したことお伝えしてなかったですかね」とSさん。
原作家生活20年、掲載誌を勘違いしたまま原作を書き上げたのは初めてです(笑)。
投稿者 黒沢哲哉 : 00:19 | コメント (0) | トラックバック
2008年10月 9日
大林映画『その日のまえに』の試写を観る
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8日午後、電車で麹町へ。久々に試写会のお誘いをいただき、角川映画試写室で、11月1日公開の映画『その日のまえに』の試写を見る。
これは、大林宣彦監督が、重松清の同題の小説を映画化したもの。主演は南原清隆と永作博美。原作は「泣ける!」と評判だったというが、あいにくぼくは未読です。果たして映画の方はどうでしょう。
お話は、病気で余命1年を宣告された妻・とし子(永作)と、その夫でイラストレーターの健大(南原)。ふたりがその1年をどうやって生き、その運命を受け入れたのかが綴られている。
これだけを書いて、しかも「泣ける」となると、難病ものにありがちな展開が予想されてしまうが、このお話はそれだけに終わらない。
ふたりは、心配する主治医の反対を押し切って、さびれた小さな海辺の町へ旅をする。そこは、かつてふたりが貧しいながらも幸福な新婚時代を過ごした町だった。
そしてここからが大林映画の真骨頂である。ふたりが歩く実際の風景と、かつてたくさんの人で賑わっていた昔の町の風景が、まるで自然なことのように同時に(!)描かれているのだ。それによって、そこに暮らす、あるいは昔暮らしていた人々の、いくつもの人生が交錯し、くっきりと浮かび上がってくるのである。
これを単なる回想シーンとせずに、現実とミックスしたために、懐かしさと寂しさの入り混じった不思議な浮遊感を持っている。この感覚......これは、そう、1988年公開の大林監督の映画『異人たちとの夏』を観た時の感覚に近いな! と思ったら、どっちも市川森一の脚本でありました。市川脚本のセリフのファンタジーと大林演出の映像のファンタジー、どちらも最高です!!
余談だけど、この海辺のシーンで、「かもめハウス」という海の家の看板の「ハウス」という文字にだぶって「キャーッ!!」という叫び声が重なるカットがあるが、これは大林監督の劇場映画第1作『HOUSE ハウス』(1977年)への目くばせで、当時からの大林映画ファンとしては思わずニヤリとしてしまうワンカットでした。一瞬なのでお見逃しなく。
映画は、前述したように、決して観客に涙を強要することなく、じんわりと心にしみてくる。ふたりの愛と覚悟がすがすがしい。また、物語の中盤からライトモティーフ的に登場し、宮沢賢治の詩を歌にして歌うセロ弾きの女性も、作品のテーマと合っていてじわ~んと心にしみてくる。
悲しいお話なのに、観終えた後に、何ともいえないすがすがしい気持ちになる素敵な映画です。
公開は、11月1日より、角川シネマ新宿ほか。機会がありましたら、皆さんもぜひ見てくださいね!!
参考リンク:
映画「その日のまえに」公式サイト
公開劇場一覧
投稿者 黒沢哲哉 : 14:23 | コメント (2) | トラックバック
2008年10月 7日
締め切り4連チャンをクリア
9月26日、『龍のおんな』第2話の原作が完成、メールで編集部へ送って仕事がひと段落した。
夜は久々にテレビで映画などを見て過ごす。
来月6日までにあと2本の締め切りがあるけど、まだ時間もたっぷりあるし余裕で間に合うはずだった......。
が!
そう思っていたところへ、「別冊漫画ゴラク」編集のSさんからおよそ1年半ぶりに電話があった。実は2年ほど前にぼくがSさんに読んでもらったマンガのプロットがあったのだが、そのときは残念ながら作品にはならなかった。それが今回、その企画にぴったりのマンガ家さんがいたということで、急きょ日の目を見ることになったのだ。
翌日、Sさんが柴又まで来てくださり、柴又ジョナサンで打ち合わせ。その場で箱書きをつくり、さっそく原作を執筆することになった。
けど、10月6日までにはあと2本の締め切りが......。
とりあえず、大急ぎで1本目の締め切りである「G-Diary」の連載コラムに使用するおもちゃを集めてデジカメで撮影する。続いてすぐに原稿を執筆......しようと思っていたところへ、小学館クリエイティブのM村さんからメールが届いた。添付ファイルで小学館の学習図鑑のレイアウトが送られてきて、1週間くらいで本文を書いて欲しいという。
うわー、半月で締め切り4本になってしまった。これは完全にオーバーフローしちゃってるぞ。
ともかく、資料が揃っていてすぐに取りかかれる学習図鑑の本文を執筆。3見開き分を仕上げたところで、こちらを中断し、「G-Diary」のコラム原稿に取りかかる。
10月2日、「G-Diary」の原稿が完成。とりあえずこれは約束の日にメールで編集部へ送ることができた。
すぐに次のミリオン出版の読み切り作品の原作執筆に取りかかり、3分の1ほどを書き上げた。
10月3日、午後、電車で神保町へ。小学館出版局を訪ね、編集部で学習まんが人物館の企画打ち合わせ。編集のM山さんから、今回作画をしていただくマンガ家さんを紹介していただいた。初めて組ませていただく方だけど、ひじょうに意欲的でバイタリティのある方で、絵柄も楽しくて、一緒に仕事をさせていただくのが楽しみだ。こちらは年内いっぱいが締め切りなのでとりあえず打ち合わせだけ。
その後、「別冊漫画ゴラク」編集のSさんに電話を入れ、すずらん通りの喫茶店Folioで、昨夜練っておいた読み切りマンガのプロットの打ち合わせ。
帰宅後、ミリオン出版の読み切りの原作もまだ書きかけだけど、打ち合わせをしたばかりの「別ゴラ」の読み切りマンガの原作の方を先に書くことにする。こういう場合、テストの答案と同じで、すぐに進められる方を先にやるのが、複数の仕事を効率よくこなすコツなのだ。
10月5日、「別ゴラ」の読み切りの原作第1稿が完成。ファックスで編集部へ送る。
すぐにミリオン出版の読み切りの原作に取りかかる。
夜、「別ゴラ」のSさんから電話があり、基本はOKとのこと。一部修正を依頼されたが、そちらは8日まででいいという。
そこですぐに頭を切り替えて、再びミリオン出版の原作の続き執筆を再開した。
10月7日、ミリオン出版の読み切りの原作第1稿が完成。メールで編集部へ送る。
夜、編集部のW邉さんから電話があり、第1稿でOKとのこと。分量が少しオーバーしているが、それは編集部で調整してくれるという。
と、これが現在までの近況です。
まるでずーっと息を止めて潜水泳ぎをしていたような息苦しさの中で走り続けた10日間でした。まだ小学館の学習図鑑の原稿(残り半分)や、ミリオン出版の記事原稿なども残っているんだけど、大物が片付いたので、背中を火であぶられるようなジリジリした焦燥感や不安はなくなりました。ふーーーーー。