2013年2月11日
お年玉付き年賀状
いやー、正月のインフルエンザ以来、仕事が押しまくってぜーんぜん時間が取れない。
ということで、とりあえず生存報告。
お年玉付き年賀状の抽選発表からも早一ヶ月になろうとしているが、ようやく結果を調べました。結果、4等の切手シートが7枚当選っっ!
年賀状をくださったみなさま、ありがとうございまーーーす。いただいた切手は大切に使わせていただきます。
投稿者 黒沢哲哉 : 00:09 | コメント (0) | トラックバック
2012年5月12日
GWは宮古島旅行っ!!
ぼくがふだん出不精なことは、親しい友人ならご存知であろう。親しい友人でなくとも、このブログによくお立ち寄りくださっている方ならごぞんじであろう。そう、わたしは仕事でもなければめったに遠出はしないのだ。
そんなぼくに「宮古島へ旅行に行かないか?」というお誘いがあったのは2月頃だったと思う。
昨年、久々に小学校時代の同窓生が何人かで集まって飲み会を開いた際、そこにはるばる宮古島からかけつけたM喜ちゃんという女性がいた。小学校1年から3年までぼくと同級生だったM喜ちゃんは、何と結婚していま宮古島に住んでいるのだ。
そこで「ぜひみんなで遊びにおいでよ~」と誘われたわけで、ぼくも「ぜひ行くよ!」と社交辞令を返しておいたわけだが......、
それから数か月してM喜ちゃんの親友の女性T子ちゃんから電話がかかってきた。
「クロちゃん行くって言ってたよね」
「どこに?」
「なにいってるのよ、宮古島よ!」
「ええ~~っ、あれ本当にいくの?」
「決まってるじゃない。もう数に入ってるんだから、断れないわよ」
「ちょっと、いつよ、いつ」
「ゴールデンウィークの始まる直前に行く予定なの」
「でもぼく連休仕事だしカネないし出不精だし」
「あたしだって仕事休んでいくのよ! お金だってないわよ! みんな行ったことないところだから出不精でも大丈夫よ!!」
ということで、なんだかどうしても行かざるをえない雰囲気となり、結局、行くことになってしまったのだったーっ。
宮古諸島は上の地図のように沖縄本島から南西約300kmのところに位置する。沖縄と台湾のちょうど中間あたり。緯度は北緯24~25度でフロリダのマイアミとほぼ同じだそうだ。
そしてこちらが宮古諸島。宮古島を中心とした大小8つの有人島から成っている。宮古島の北端にある池間島と、西南端にある来間島へは橋が架けられている。また宮古島の次に大きい伊良部島へ渡る伊良部大橋は現在建設中で2014年の開通だそうである。
宮古島本島の総面積は約204.5m²。大阪市の総面積より少し小さく、沖縄県で4番目に大きい島だそうである(ほとんど観光ガイドブック丸写し)。
出不精なぼくはもちろん、今回東京から参加したメンバーは全員初めての訪問となる。
M喜ちゃんによれば、宮古島で生活していて何より大変なのはやっぱり台風だそうで、こちらではそんじょそこらの家では吹き飛ばされてしまうので、屋根が低くてコンクリート製の家が多いという。また窓の多くに刑務所のような鉄格子がはめられているのは、台風で飛んできたもので窓が割れないようにという対策だそうだ。
自動車は潮風で1~2年で錆びてしまうそうで、その他、機械もの(たとえばパソコンやデジカメなど)も長持ちしないそうである。観光シーズンに遊びに来るには最高の場所だけど、ここで生きていくとなるとやはりこの大自然とつきあっていくという覚悟が必要なようである。
04/27
午後1:30、羽田へ集合しボーイング777に乗って沖縄へと飛び立った。行程は3泊4日。参加メンバーは全員葛飾区立柴又小学校の同窓生である。I野くん、O原くん、T子ちゃん、そしてぼくの4人。現地ではM喜ちゃんが待っていてくれるハズだ。
I野くんはプラスチック加工会社を経営。O原くんは電気施工会社に勤務。T子ちゃんはブティック経営。宮古島のM喜ちゃんは沖縄地方の伝統工芸品である手作りの織り物を織って販売したり、デザイナーであるご主人がデザインしたTシャツを販売したりして生計を立てている。みんなそれぞれ充実した生活を送っているようで何よりである。いちばん生活が不安定なのはぼくでした。
さて、およそ2時間40分ほどで沖縄へ到着し、ここから上の画像のボーイング737に乗りかえて宮古島へと向かう。こちらはわずか40分ほどのフライトである。この路線はプロペラ機も飛んでいるらしいので、プロペラ機に乗りたかったなぁ。
気になるのは現地の天候だ。なんとタイミングの悪いことに沖縄地方はつい先日梅雨入りしてしまったそうで、現地の天気予報は4日間とも雨である。しかし......ギリギリ晴れ男のぼくがいれば......何とかなるに......違いないっ!!
ギリギリ晴れ男というのは、例えば屋外のイベントの取材などがあると、その当日の朝まで雨が降っていたりして、中止か、開催かとやきもきするんだけど、結局ぎりぎりで晴れることがよくあるという、それがぼく、ギリギリ晴れ男なのである。
宮古島空港に着くとすでに夜。出迎えてくれたM喜ちゃんと合流し、レンタカー屋で車を借り、ホテルに荷物を置いてさっそく街へと繰り出す。雨がパラパラ降っていたが傘をさすほどではない。この日はホテルから徒歩で行ける志堅原という居酒屋でちゃんぷるーとか、ミミガーとか、うみぶどうとか、こっちでしか食べられないものをたくさんいただきました。
04/28
そして翌日。やっぱり天気はあまり良くない。雨が降ったりやんだりのどんよりした天気でした。M喜ちゃんの案内で見どころを回る。
それでも海はこの色! ここは島の南西の端に当る宮古島東急リゾート前の前浜ビーチだ。
しかしぼくが「海がきれい!」と言ったらM喜ちゃん、「晴れてたらこの10倍きれいなんだよー」と言う。いったいどんなにきれいなんだーーーっ? 果たしてこの旅行中に快晴はあるのかーーーっ!?
前浜ビーチの砂浜でヤドカリを発見。じつはカニも見つけたのだが、カニは動きが素早くて写真に撮れない。くっそー!! あんまりヤドカリ撮影に夢中になっていたらみんなに置いてかれた。旧友は容赦ないね。
宮古島の北端、西平安名崎に立つデンマーク製(?)の風力発電用風車。じつはこれ、去年の台風で 2003年の台風で(※M喜ちゃんよりメールで「去年じゃないよ~」という指摘がありました)3基あるうち1基が何と根元から折れてしまったんだとか。しかし現在は新たに新品が設置しなおされた。しかしまた同じような規模の台風が来たら大丈夫なんだろうか......。
画像の左から2台目にとめているヴィッツがぼくらが借りたレンタカーである。こんなコンパクトカーに5人もギュウギュウ詰めで、もっと大きい車を借りればよかったのに、と思ったんだけど、宮古島の道は狭いところも多かったので、これで正解でした。へたにミニバンとか借りてたらかえって大変だった。
04/29
この日は早々にフェリーに乗って伊良部島へ渡った。そしてこのあたりで......少しずつ......晴れて......キタキタキターーーッ!!
晴れると海の色がみるみる青さを増していく。
とうとう晴れた伊良部島渡口の浜のコバルトブルーの海で泳いだぜーーーーーっ!! ちょっぴり水が冷たいけど、気持ちいいぜーーーっ!! ギリギリ晴れ男勝利。
この日のランチは、フランス料理のように気取ったコテージ風イタリアンレストランヴィラブリゾートでゴージャスにコース料理をいただきました。短パンにビーチサンダルだったけど(笑)。
宮古島へ戻るフェリーの上から撮影した風景。ヨットもなんだか関東の海で見るより優雅でおしゃれに見える。石川セリの『八月の濡れた砂』のメロディが聞こえてきそうだ。
04/30
最終日、ついに......快晴キターーーー!!!
M喜ちゃんの言うとおり、海の色も空の色も初日2日目とはまるで違って感動でした。この写真に合うBGMはもちろん原田知世の『天国にいちばん近い島』ですな。
遠くに見えるのは来間島へ渡る来間大橋。
その来間大橋の上から見た風景。ここでまたまた石川セリが聞こえてきた。今度は『遠い海の記憶』、NHKの少年ドラマシリーズ『つぶやき岩の秘密』(1973年放送)の主題歌だっ(知ってる?)。
来間島の展望台で記念撮影。小学校時代の仲間だと本当の素の自分を知られてるから、自分を飾る必要がまったくなくて気楽だし、こんな旅もいいもんですね~。
M喜ちゃんが教えてくれた、地元の人じゃなければ絶対見つけられなそうな秘密の入り江。ジャングルのような樹木のトンネルを300mほどくぐって抜けたところでいきなり視界が開けてこの風景が現れる。
いよいよ宮古島を離れる時間が近づいてきた。最後に立ち寄った砂山ビーチでI野くん、O原くん、T子ちゃんの3人はもう一回泳ぐと言って泳ぎ始めたが、ぼくとM喜ちゃんはふたりで砂浜に腰かけて40数年前の思い出話を時間を忘れて語り合った。今こうしてこの旅行を振り返ってみると、この時の語らいがいちばん楽しかったかも。幼なじみってきっとそういうものなんでしょうね。
18:00過ぎ、M喜ちゃんが見送る中で、ぼくら4人はふたたび機上の人となる。帰りの飛行機では4人ともほとんど爆睡状態でした。
さーーー、帰ったら連休後半は山のような仕事が待っている。キビシーーーッ。
投稿者 黒沢哲哉 : 00:51 | コメント (4) | トラックバック
2011年6月 5日
来月で15年目に突入!
Movable Typeをバージョンアップしたら、トップページのサイドバーに表示させていたアーカイブリストがおかしくなってしまい修正。しかし、前にカスタマイズした際に参考にさせていただいたサイトは残念ながら閉鎖となっていた。
そこで再度検索したところ、プラグインを使わないで Movable Type の標準機能だけで同様の表示を実現させる方法を紹介しているサイトがあった。以前はプラグインを使っていたので、よりシンプルに同じ結果が得られるということだ。そこで今回はそちらの方法を応用させていただいた。
参考にしたのは、[WingMemo]さんの[こちら]のページです。ありがとうございました!
ということで、アーカイブ表示を修正するついでに、2004年より前の 旧html版monologule、つまり Movable Type を導入する前の日記も、アーカイブリストに月ごとに表示させるようにしてみた。
すると、1997年6月にこの monologue をスタートさせてから今月でちょうど14年、来月からは15年目に突入するということにあらためて気がついた! 10年ひと昔といえば、もうひと昔半も前のことになる。って二十四の瞳じゃないですか!!
まー、だけどいつも適当なことを書き散らしてるだけだし、時には1ヵ月近く更新しないこともあるし、大したブログでもないんですけどねー。何ごとも続けるということは大事なことです。また、こちらへいつもお立ち寄りいただいている皆様にも感謝感謝でございます。
しかし......ひさびさに古い書き込みを読み返してみたが、14年間、仕事もプライベートもほとんど進化してないことにわれながら呆れたっ!
うーん、なんかさー、14年もあったらさー、もうちょっとさー、賞をもらうとか宝くじに当たるとか、すっごいことが起きててもよかったんじゃないのかなー。それとも、何もないってことが、それだけで幸せってことなのかなー。んー、でもなーーーー。
上の画像は1997年7月に京成お花茶屋駅近くの商店街で友人に撮影してもらったぼくのデジカメ写真。撮影機材は当時はまだ珍しかったデジカメ CASIO QV-10である。画素数は確か10万画素程度で、この画像も縮小しているわけではなく、最初から340×240ピクセルの画像でしか撮影できなかったのだ。それはともかく、こう見ると14年前は若いな。いや、むしろほとんど変わってないとも言えるな。少なくとも髪型と服装は今とまったく同じだし(笑)、てか、この服今も着てるし(爆)
投稿者 黒沢哲哉 : 23:33 | コメント (0) | トラックバック
2011年1月 1日
初詣in帝釈天っっ
あけましておめでとうございます。
普段、なかなか更新しないブログでございますが、本年もどうぞ暖かい目で見守ってやってくださいまし。
さて、今年も仕事をしながら明けた新年であるが、午前1時過ぎ、デジカメをぶらさげて帝釈天へ行ってきた!
出かける前に、去年の初詣はどうだったのかとブログを見たら、去年は一夜明けて元日の昼間に行っていた。で、今年も寒いから寝て起きてから行こうかナ~と一瞬迷ったが、縁起物だし迷ったら行くべし! ということで思い切って家を出た!! うおおっ、さぶっ!!
で、帝釈天の人出はだいたいこんな感じ。到着した時点で1時20分ほどだったので、混雑のピークは過ぎていたようで比較的ゆったりとお参りできた。この画像でも分かるように、参道のお店の中には早々と店じまいしてしまったお店もあってちょっと寂しい......。
その後、例によって帝釈天脇の道路に出て、そこに並ぶ屋台を一通りチェックする。たこ焼き屋、お好み焼き屋、焼きそば屋、イカ焼き屋、水飴屋、リンゴ飴屋、チョコバナナ屋☆、クレープ屋☆、ジャガバター屋☆、フランクフルト屋☆、鮎の塩焼き屋☆、大阪焼き屋☆、トッポギ屋☆、ケバブ屋☆、タイラーメン屋☆、シェイクポテト屋☆、焼きチキン屋☆、居酒屋(?)☆などなど。
☆印を付けたのは、ぼくの記憶で昭和40年代以前の帝釈天の初詣には並んでいなかった屋台である。シェイクポテトというのは、粉末フレーバーをトッピングして袋の中でシャカシャカする、まぁマクドナルドのシャカシャカポテトですな。これは2~3年からあるようだ。こうして見ると屋台のお店もずいぶんと様変わりしてしまったなぁ。
で、食べ物以外ではお面屋、輪投げ屋、当てクジ屋がそれぞれ1軒ずつと射的屋が2軒いた。壁面におみくじがズラリと並んでいて、自分で誕生日のクジを取ってお金を箱に入れる無人のおみくじ屋も10年ほど前まではいたんだけど、ふと気付いたらいなくなっていた。
この中で挑戦するとしたらもちろん射的だ。ぼくは射的屋の前でしばらく他の人が射っているのを見学し、いい景品が取れそうだったらやろうと思ったんだけど、置き方がシビア過ぎて取れそうなのはラムネ菓子とキャンディだけだったのでやめた。昔みたいに謎のミニプラモデルとか、安物の瀬戸物人形とか、ガラクタでいいから、そういうどこにも売ってない物を置いといてくれよぉ!!
ただ見学している最中に、射的屋のアンチャンとほかの客が会話している中で面白い話が聞けた。射的屋のアンチャンは、もし客に高価な景品を取られてしまうと、その赤字分は自腹で補填しなければいけないんだとか。「だからお客さんにオマケしちゃうと自分が損しちゃうんですよ~」と言っていた。まー、ホントかどうかは分からないけどね(笑)。
さて、今年がこのブログをお読みの皆様にとっても良い年でありますように、しっかり帝釈天様に願掛けしてきましたからね~~。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
投稿者 黒沢哲哉 : 02:19 | コメント (6) | トラックバック
2010年9月21日
エアコン蛾ブッコワレタ
9/5
前回のエントリーで、エアコンから漏水があってそれを僕が自分で修理したって話を得々と書いたけれども、やっぱり治ってませんでしたー(爆)。
漏水の原因は、いつものようにドレンパイプの詰まりだと思っていたら、そうではなくて、内部の熱交換機周辺に張り巡らされた銅製パイプの蝋付け部分に亀裂が入り、そこから漏っていることが発覚したのだ。それで大急ぎでホームセンターへ走り、水中用エポキシパテを買ってきて亀裂を埋めたんだけど、漏水部分は1箇所ではないらしくそれでも止まらない。
このエアコンは買ってからすでに10年以上経過しているから、どうやら寿命らしい。エアコンは家電の中では高電圧を使っているから、このままでは危険と判断し、冷房のシーズンもほとんど終わりではあるが、あきらめて買い換えることにした。
ということでネットで検索してみたのだが、季節商品なのでどこのショップもお買い得商品はすでに完売しているものが多く、あまりいいのがない。
もう面倒なので近所の家電量販店百満ボルトへ行き、予算と納期で即決したのがこれでした。パナソニックの8~10畳用GS-25LFE7という機種で、税・取り付け費込み価格69,800円。その他に運搬費と旧機種のリサイクル料が加算されて75,950円。ここに家電エコポイントが10,000点もらえた(エコ家電購入7,000点+リサイクルポイント3000点)ので、まあまあの買い物だったかな。
9/7
さっそく工事の人が来てくれて交換したのだが、さすが慣れてらっしゃる。若いお兄さんがふたりで来て手際よく作業を分担し、テキパキと交換。わずか1時間で設置完了となった。しかしエアコンがない状況での作業だからふたりとも汗だくで、最後に手渡された取扱説明書はお兄さんの汗でシワシワになっていた(笑)。
その後、さっそくエコポイントを申請するべく書類を書き始めたんだけど、予想通りお役所の書類は分かりにくい! さらに書き手に押しつける根拠不明のマイルールが多すぎる。例えばリサイクル券貼付欄には、左端をセロハンテープで貼り付けるように指示があり、右端は「内側に折り曲げて貼り付けてください」と書いてある。だけどこの「内側」の意味が分からない。内側とは書類面から見て内側=すなわち谷折りなのか、台紙の側から見て内側=山折りなのか??? またこちらはセロハンテープで、とは書いてないし、テープだとしてもこちら側には貼付スペースが指示されていないので、どこをどう貼ったらいいのかまるで分からないのだ。そもそも問題なのは、この貼付欄に貼る書類は定型の紙なのに、そのサイズより小さい欄を用意して、そこへ右端を折り曲げて貼ることを強制している時点で煩雑さが増やしていることに最初に気付くべきだろう。
とか何とか文句をいいつつ途中まで書きかけたところでネットを検索したら、何だネットからも申請できるんじゃん。しかもネットからの申請だと手書きの書類を郵送するより手続きが1週間ほど早くなると書いてある。だったら最初からそっちにすればよかった。ということで電気屋でもらった申請用紙を破り捨ててウェブで申請することにした。
そしてようやく必要事項を最後まで入力し終えて完了ボタンを押すと......な、何と!「完成した書類を印刷して郵送してください」だとぉぉぉ!? ドババーーーン!! 結局Webでの申請というのは単なるPDFを出力するフォーマットだったのかよ! そんなこと冒頭にはひとことも書いてなかったじゃないか!! ぬぬぬ、結局オイラは2度も同じ書類を作ってしまったわけで、怒りはおさまらないが、まあ、この出力書類で送れば根拠は不明だがなぜか1週間早く手続きしてくれるというのだから、気持ちを抑えながら画面上の印刷ボタンを押して、さっき破ったのとほとんど同じ書類をプリンターから出力。そこへ領収書やら、リサイクル券のコピーやらを貼って、はんこを押して、自分で封筒を用意して切手を貼って投函しましたよ。ええ。
ちなみに、親切なことに封筒に貼ってくださいという宛名の紙が一緒にプリントされて出てくるけど、その差出人の住所氏名欄は空白のままである! あのさー、別の欄にこっちの住所と名前を書き入れてるんだからさー、それがここにも自動的に転記されるようになっていれば、手書きする手間が少なくならない? それかせめてここも画面上で入力できるようになってれば、この欄だけのためにボールペンを用意する必要もなくなるのに。
9/8
1年近くにわたって細々と書き続けていた小学館の学習まんが人物館『西郷隆盛』の原作最終章をようやく書き上げた。
しかし先月の観測では、これさえ上げればひと段落するはずだったんだけど、どうやらそうでもなさそうでがっくり。
9/14
14:00、電車で高田馬場へ。昼食を食べる時間がなかったので、駅前の富士そばでもりそばをかきこんで手塚プロへ。プロデューサーのI藤さんと次回のホームページのコラム企画打ち合わせ。
15:00、神保町へ移動。ようやく涼しくはなってきたけど、こうして歩き回るとまだ汗が噴き出してくる。次の打ち合わせまで少し時間があるが、古本屋を歩き回るのもしんどくてドトールに避難する。
16:30、小学館クリエイティブK村さんと、マンガ評論家のN氏と3人で復刻本のコラム企画打ち合わせ。N氏とはこの日が初対面だったけど、ほんの少し話を振っただけで3つも4つも返答がくる。評論家と名乗るにはオタク的なマンガ知識だけじゃなくて広範な教養と勉強が必要なんだなと痛感した。ぼくは評論家にはなれないなー。
18:00、続いて集英社へ。編集のI澤氏と企画打ち合わせ。その後、旅好きなI澤氏の案内で、本場の讃岐うどんを食べさせてもらえるお店に連れて行っていただいた。ゆでた麺に生醤油をかけただけのシンプルなうどんがこれまたうまい。ぼくはまだ一度も四国には渡ったことがないんだけど、本場でも一度ぜひ食べてみたいなぁ。だけど出不精だから仕事の取材でもからんでないと一生行くことはなさそうだなぁ(笑)。
9/16
手塚治虫公式サイトのコラム『虫さんぽ』第12回の原稿を執筆。取材はすでに夏前に済ませてあったのであとは記事を書くだけなんだけど、取材から時間が経ちすぎて頭を取材当時に戻すのに苦労した。
9/20-21
小学館のホームページブックピープルで連載中の歴史家とマンガ家の対談記事『歴漫対談卍漫史(MANJI)』第3回の原稿を執筆。
上の画像はページが寂しいのでおまけ。この夏に和歌山へ旅行した友人がくれた、パンダの携帯マスコット。そういえばいつの間にか上野動物園にはパンダがいなくなってしまったのか。
投稿者 黒沢哲哉 : 17:06 | コメント (2) | トラックバック