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10年以上前に刊行された、分厚い文庫本のシリーズ。全5冊+別巻1冊。
この6冊をひと通り読めば『少年』に掲載された作品の多様さと当時の熱気をうかがい知ることができるだろう。
かろうじて今でも入手できるみたいなので、興味のある方はお早めに。
しかし文庫サイズでなく大判で出して欲しかった。
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特集コラム -第1回-
雑誌『少年』の時代
◆月刊マンガ誌の黄金時代
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昭和30年代、子どもにとって娯楽の王様はマンガだった。当時のマンガ雑誌は月刊誌が主流で、毎月、多数の少年雑誌が発行されていた。
『少年クラブ』(講談社)、『冒険王』『まんが王』(秋田書店)、『少年』(光文社)、『少年ブック』(集英社)、『ぼくら』(講談社)、『少年画報』(少年画報社)……。
毎月のわずかな小遣いで全部の雑誌を買うのはとうてい不可能だから、複数の雑誌に読みたい連載マンガがあるときは、発売日の1週間後くらいに友だちの家を自転車で走り回り、その雑誌を買っている友人を必死で探し出した。
ねらい目は中学生くらいの兄貴のいる家だ。小学生の小遣いだけじゃ毎月いいとこ買えて1〜2冊だけど、兄貴のいる家では毎月3〜4冊のマンガを買っている場合もあるからだ。
そんなこんなで、好きな連載マンガを毎号読むのもなかなか大変だったんだけど、マンガを読ませてもらえる家はまだ幸せだった。当時はマンガ絶対禁止という家庭も決して少なくなかったからだ。
小学校時代の友人のひとり、H川くんの家はそんなマンガ禁止の家だったから、彼がぼくの家へ遊びに来ると、むさぼるようにマンガを読み始めてしまい、ぼくがいくら「ねえ〜、早く遊ぼうよ!」と言っても「うん、うん……」と生返事ばかりで全く動かなくなってしまうのだった。
◆アトム、鉄人と過ごす至福の時間
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と、まあ買えないマンガはお互いに借りたり貸したりしながら経済的にマンガライフを楽しんでいたぼくらだけど、ぼくには、毎月これだけは絶対に自分で買わないと気がすまないというマンガ雑誌があった。
それは光文社から発行されていた『少年』だ。
当時『少年』には『鉄腕アトム』(手塚治虫)と『鉄人28号』(横山光輝)という2大人気マンガが掲載されていたし、そのほかにも『電人アロー』(一峰大二)、『ストップ!にいちゃん』(関谷ひさし)、『サスケ』(白土三平)、さらに『モーちゃんター坊の工作教室』や『少年科学マジック』などといった記事や読み物のコーナーまですべてが面白く、隅から隅まで楽しめる、子どもにとって夢のような雑誌だったのだ。
『少年』を買ってきた日は、まず震える手で本誌をしばっているヒモを解き、あえてすぐに本誌には行かずに、付録の方をひとつひとつあらためる。
「ふんふん、なるほど、今月の組み立て付録は鉄人ドライブゲームか。よし、夕飯の後で作ろう。おおっ、別冊付録が5冊も付いてるじゃないか。鉄人の表紙、カッチョエエー! サスケもいいなぁ〜、などとひとしきり付録を味わった後で、おもむろに本誌へと手を伸ばすのだ。
もちろん本当は早く読みたくてウズウズしてるんだけど、何しろ1か月間待ち焦がれた瞬間だから、一気に読んでしまってはもったいなくてしょうがないのだ。
最初は巻末近くに載ってる江原伸の読み切りマンガや『ポテト大将』(板井れんたろう)とかのギャグマンガを1〜2本読んでちょっと休み、広告や次号予告をパラパラと見て時間を稼ぐ。
でもってここらで『シルバークロス』(藤子不二雄)あたりの読み応えのあるストーリーマンガを1本読んでまた休む……とかやってるんだけど、もう我慢できなくなって、巻頭の『鉄人』を読んでしまったらもう止まらない。あとはもう頭から終わりまで、さらに別冊付録まで一気呵成に読んでしまう。
その集中力はすさまじいほどで、その間、自分でも息をしてたかどうかさえまったく分からない。
そしておよそ2時間後、読者コーナーから欄外のもの知りコラムまですべてを読み終えた後にやってくる軽い目眩と陶酔と脱力感。現代医学的に言えば脳内麻薬物質が出まくりの、かなりハイな状態だったに違いない。
そして当時『少年』の発売日には、ぼくと同じような少年が日本中にいたのだ。考えるだけでうれしくなってくる。
◆『少年』の歴史は昭和21年に始まった
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雑誌『少年』が創刊されたのは、戦争が終わってまだ1年しかたっていない昭和21年秋のこと。判型はA5判で今の週刊誌よりひと回り小さいサイズだった。
上で紹介している「『少年』オール復刻BOX」の資料冊子「THE HISTORY of "SYONEN"」によると、大佛次郎の冒険小説や芹澤光治良の少年小説など、読み物が中心だったようだ。
そしてぼくらも良く知っているあの小説の連載が始まったのは、昭和24年の3月号からだった。その小説とは、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズである。
少年探偵団シリーズは、戦前に講談社の『少年倶楽部』に連載されたが、『怪人二十面相』(昭和11年)、『少年探偵団』(昭和12年)、『妖怪博士』(昭和13年)の3作品を発表したところで戦争のために中断。
その人気シリーズが、構想も新たにこの『少年』で連載再開されたのだ(後に『少年クラブ』でも同時連載がスタートする)。
戦後最初のエピソードとなったのは『青銅の魔人』。真夜中の時計店を機械仕掛けの青銅の魔人が襲う!
この戦後版少年探偵団シリーズで舞台となっているのは、まだ焼け跡や闇市の猥雑さが残る上野、浅草。そして戦火を免れて焼け残った麻布や麹町の閑静な屋敷町など。
少年探偵団のメンバーは全員良家の子女だから夜間に活動が出来ないので、浮浪者の少年達で結成された"チンピラ別動隊"というサブ組織が登場するあたりも時代を反映している。
当時、光文社版の単行本「少年探偵団」シリーズを買うと、カバーのクーポン券を集めて少年探偵団員の証であるBDバッジをプレゼントしてくれるというキャンペーンがあった。また、付録に少年探偵団手帳を付けたところ大反響を呼び、後に通販などもされた。そのあたりについては串間努さんの著書『完全復刻版 少年探偵手帳』に詳しいので興味ある方はぜひご一読をおすすめします。
テレビではフジテレビ系で昭和35年から『少年探偵団』の放送が始まる。名探偵明智小五郎役に富岡浩太郎(病気のため途中降板し若柳敏三郎に交代)、少年探偵団団長・小林芳雄少年に清水良太、怪人二十面相役は大平透だった。放送は昭和38年まで続き全152回という人気番組となった。
本格的にマンガが連載されるようになるのは、昭和26年7月号で『鉄腕アトム』の前身である手塚治虫の『アトム大使』の連載が始まってからのことだ。
その『アトム大使』の連載が27年3月号で終わり、翌月号から『鉄腕アトム』に引き継がれると、いよいよ本格的な雑誌マンガの時代が訪れる。
27年4月号では連載マンガが『鉄腕アトム』を含めてわずか3本だったのが、30年の4月号では8本に増えている。
『鉄人28号』が始まったのは、昭和31年7月号の別冊付録からだった。当初は短期連載の予定だったのが、ものすごい反響だったために本格連載となり、その後10年間にわたって『鉄腕アトム』と並ぶ『少年』の2大看板作品となったのだ。
◆そして、お楽しみはまだまだ終わらない
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さて、そんな『少年』の魅力はマンガだけではない。毎号必ず付いた豪華な組み立て付録の数々もまた、毎月の大きな楽しみだった。
ぼくはマンガ少年であると同時にプラモプラモ少年でもあったが、毎月プラモを買うなんてできるわけがない。ところが『少年』を買えば、マンガが読めて、さらに紙模型を作ることもできるのだ。
戦艦や空母、戦車、ジェット機、ピストル、怪獣、ロボット、あらゆるオモチャがボール紙とわずかな金具だけでキット化されて付録として付けられた。
現実には、子どもの工作技術にも紙の精度にも限界があるから、必ずしも期待した完成品にはならなかったことも多かったけど、ぼくはそれでも毎号、夢中で組み立て付録を作り、失敗しては、次号予告に掲載された来月号の付録に期待をふくらませてまた1か月間を過ごすのだった。
いま同世代の人と話をすると、この次号予告の話でひとしきり盛り上がることができる。
次号予告というと、今じゃ巻末近くのモノクロページに見開き2ページでお約束程度のノリでサラッと掲載されていることが多いけど、この当時の月刊マンガ誌の次号予告は、巻頭にオールカラーで屏風状に折り込まれた状態でドーンと掲載されていたのだ。まるで人気マンガと同列かそれ以上の扱いである。
そしてその予告ページには、これまた人気マンガの予告よりも数倍大きいスペースを割いて超デラックスな組み立て付録が紹介されていたのだ。
ぼくらはそこに描かれている、完成した付録で楽しそうに遊ぶ少年のイラストに自分自身の1ヵ月後の姿を重ね合わせ、次号もぜったい『少年』を買うぞ、と誓うのだった。
次号予告さえエンターテインメントしていたあのころの月刊少年マンガ誌、その中でも燦然と輝いていた『少年』が休刊したのは昭和43年の3月号だった。
テレビの普及に合わせるように少年マンガ誌の主流は週刊誌へと移りつつあるころだった。
月刊少年誌はそれぞれ大胆な誌面刷新を行ったり誌名を変更するなどして努力を重ねたものの、時代の流れには抗えず、老舗月刊誌『少年クラブ』は昭和37年に早々と休刊。『少年ブック』と『ぼくら』も『少年』の後を追うようにして昭和44年に休刊した。
こうしてひとつの時代を作った月刊誌は終焉を迎えたわけだが、マンガがアニメと連携して本格的に隆盛を極めるのはその後の週刊誌の時代になってからのことである。
そのあたりの話も、いずれ機会があればぜひ書いてみたいと思います。
TEXT BY 黒沢哲哉(2006/10/25 書き下ろし)
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