浦和氏は、葛飾に店を3店も持つ本屋さんの若旦那。10年ほど前まではレーシングカート選手権に出場していた。それで、ぼくがレーシングカートを始めるときにメンテナンスやレースの実際などについていろいろとアドバイスをいただいたのだ。
(QV-10Aで撮影)
さて、そんなぼくの成績はどうだったかというと…'90年春、晴れのデビュー戦でいきなり他車と接触し、転倒して左肩を骨折、全治6ヵ月の重傷を負ってしまった。トホホ…。予選は21台中10位とまずまずだったのにィ。また骨折したら今度こそ仕事に差し支えるので、ぼくはそのまま引退した。が、一緒にやっていた仲間たちはその後さらにステップアップし、富士や筑波などの本コースを走るフォーミュラ100というカテゴリーに参戦するようになった。そもそもぼくとは気合いの入れ方が違っていたのである。
左の写真は'91年秋、筑波サーキットでフォーミュラ100に参戦した友人を、ピットクルーとしてサポートしているときの写真(中央の赤いツナギがぼく)。
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