『ブルース・リーの神話』 (1984年 香港作品)

原題/BLUCE LEE THE LEGEND
監督/鄒文懐レイモンド・チョウ
主演/李小龍ブルース・リー、スティーブ・マックィーン、ジェームズ・コバーン、スターリング・シリファント
カラー 84分
 正直に言うと、ぼくはブルース・リーのいいファンではなかっただろう。『燃えよドラゴン』(1973)が公開された当時、ぼくは暴力が嫌いだった。いや、好きも嫌いも暴力ざたなどは努めて避ける気弱な子供だったのだ。
 それがたとえフィクションの世界であっても、弱者が強者に「力で」復讐をする話はあまり好きになれなかった。権力に対し知力を尽くして戦うことこそが本当の「力」であると信じていた。例えば同時期の作品で言うと、ドラゴンよりも『スティング』(1973)のコン・ゲームにこそ喝采を送っていたのである。
 そんなわけでぼくは、ブルース・リーにかぶれてヌンチャクを振り回しながら絶賛する友人の薦めで2番館へ見には行ったものの、案の定、『燃えよドラゴン』はぼくの中ではたいした作品ではなく、せいぜい、てっきり高速度撮影を使っていると思い込んだ目にも止まらぬアクションのスピードに感心した程度だったのだ。
 だが、人間の内に秘めたパワーの魅力。力の限界に挑むことの魅力をぼくは30代になってから知った。そのきっかけはバイクだった。バイクで疾走し、自分の限界に挑み、精神力が試されるとき、ぼくは初めてアドレナリンが沸騰する快感を味わった。サーキットを走ってみるとその快感はさらに高まった。知力ではなく肉体の力で人に勝ちたいと思った。極端な言い方をすれば、ぼくの心の底に眠っていた闘争本能がバイクによって覚醒させられたのである。それからぼくは遅まきながら名画座をたんねんに歩いてはブルース・リーの映画を見直した。そしてやっと彼の映画の魅力に気がついたのだ。力強いアクション、そして怒りのモチベーションをぎりぎりまで蓄積し、それを一気に噴出させた瞬間の肉体表現の美しさ。そして何よりも、彼の映画には、見ているだけでぼくの闘争本能が騒ぎ出す快感があった。
 かつて、耳年増で真面目一本槍の子供だったぼくは、早くから「闘争本能を知性で抑えることが人間として素晴らしいことである」という額縁に入れて飾っておくような建て前の金言を、実直に信じ込んでいたのである。やっぱ男ならケンカくらいしなくちゃ!! と思って30代になってから初めてやったケンカはやっぱり負けたけどね(笑)。
 というわけでこの、彼の短かった人生を4章に分けて綴ったドキュメンタリー『ブルース・リーの神話』であるが、最大の見どころは、無名時代にアメリカで受けたスクリーンテストのフィルムであった。スクリーンテストというのは、オーディションの際に実際にカメラを回して撮影し、その役者のカメラ映りをテストすることを言う。ソファに腰かけたブルース・リーに画面の外から審査員の質問が浴びせかけられ、それにリーがひとつひとつ答えていく。出身地、俳優としての経歴などなど。続いて審査員から「ここでカンフーを見せてくれ」というリクエストが出された。するとリーは「ひとりじゃできない」と言い、審査員(多分)のひとりがフレームの中へ入ってきて、リーの横に立った。そしてリーがゆっくりと拳を構えたとき、彼の表情が一変した。それまでのナイーブで温和そうなあの笑顔が消え、ひとつひとつ自分の動作に説明を加えながら、驚くほどのスピードで拳や足蹴りを繰り出していく。本当に当たらないように配慮しているにもかかわらず、審査員の腰がどんどんひけてくる。これを見たら誰だって彼の技を本物だと見抜いたに違いない。彼はこのオーディションでTV映画『グリーン・ホーネット』(1967)の加藤役を得たというが、番組その物がマイナーだったため、彼が大化けするのはずっと後のことになる。
 ブルース・リーの映画を、映画的にどうこう言おうとすると、ぼくにとっては今でも厳しい評価にならざるを得ないが、アドレナリン沸騰度で言えば『燃えよドラゴン』がどんな映画にも増して No.1 の座は揺るぎないですね。やー、ブルース・リー、かっこいいわー。え? 冒頭の書き出しと結末が一貫してないって? 気にしないでいーの細かいことは!!
 因みに、エンドクレジットのタイトルバックに流れる映像が、彼の遺作『死亡遊戯』(1979)のNG集だったのは、香港カンフーアクションの末裔ジャッキー・チェンの映画のスタイルを拝借したんでしょうかね?

(1999/07/17)


※ブラウザの[戻る]または[Back]ボタンで戻ってください。