『SADA 戯作・阿部定の生涯 (1998年 松竹第一興業作品)

監督・撮影台本・編集/大林宣彦
脚本/西澤裕子
主演/黒木瞳、椎名桔平、片岡鶴太郎、嶋田久作、ベンガル、石橋蓮司、赤座美代子、根岸季衣、池内万作、坂上二郎
カラー 132分
 主役が葉月里緒菜から黒木瞳に変わって完成した大林宣彦監督の阿部定物語だ。
 そう思って見ると、黒木瞳の阿部定はちょっと毒が薄いかな、という気もする。写真で見る本物の阿部定は、顔が美形である以上に、やはりどこかに男を魅了する毒婦の魅力があるような気がするんだよね。ま、黒木瞳はぼく好みの卵顔美人だから許しちゃうけどね(笑)。
 同じく阿部定を描いた大島渚監督の『愛のコリーダ』(1976年)は、耽美的な密室の描写によって男女の情念を描いた作品だったが、こちらは、二方向が窓になった明るい角部屋で、おまけに向かいの建物の少女と目が合ったりするなど、あえて密室感を遠ざけ、事件のシーンを回想形式にして、警察での取り調べ中の定の言葉を重ねるなど、阿部定の理性的な面、心情的な面を際立たせることに心を砕いている。左の画像は、定がドーナツの穴に自分の指を差し入れてその指をしゃぶるという、実にエロチックなシーンだ。
 ストーリーの進行にあたっては、前に書いたように、映像に定の供述調書のセリフをかぶせる他、スポークンタイトルとして客観的なナレーションの文章を画面に出したり、女衒の男が狂言回しとして語ったりと、さまざまな手法を混在させた、かなり実験的なものになっている。ひさびさに大林映画のテイストを堪能したという感じだ。
 大林監督の映画はテーマやストーリーよりも、映画というメディアで何ができるかという、表現そのものにこだわった演出の魅力があるわけで、大林映画を見ていると「ああ、ぼくはいま、映画を見ているんだ」という幸福感に浸れるのだ。
 別に自慢するわけなのだが、ぼくは『HOUSE ハウス』(1977)以来の大林宣彦ファンで、氏の作品は自主製作作品やTVムービーも含めてほとんど見ている。さらに見るだけじゃ飽きたらず、大学の卒業論文のテーマは「『HOUSE ハウス』における虚構と誇張の構造」というものだったし、かつては「キネ旬」や「月刊イメージフォーラム」で大林作品に対する贔屓の引き倒しのような文章を山ほど書き散らしていた。
 それでも最近は映画館そのものへあまり行かなくなっちゃったから、監督の作品を見るのは久々だったのだ。いやー、大林映画、いいわー。

(1999/06/20)


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