太平洋戦争中に実際に起きた事件を元に、武田泰淳が1954年に発表した同名の短編小説が原作だ。
昭和18年の冬、北海道羅臼沖で、軍に徴用された小船が座礁して遭難する。それから3ヵ月後、船長(三國)ひとりが流氷を歩き渡って奇跡の生還を果たした。ところが船長に、他の船員を殺してその死体の肉を食べたのではないかという疑惑がかかる。氷雪に閉ざされた岬で孤立した四人に一体何があったのか。船長は裁判にかけられ、厳しく糾弾されることになった。
映画全体の半分以上が、遭難後の洞窟での四人の男たちの描写に費やされていて、四人が次第に飢え、体力を失っていくのと同時に理性をもなくしていく様が、熊井啓監督お得意の粘着質な描写でドロドロとリアルに描かれている。
その一方で、題名にもなっている“ひかりごけ”が象徴的に使われており、そうしたシーンになると、一転まるで幻覚のような幻想的な描写となるのも意欲的な演出と言えるだろう。
そして問題の人肉食のシーンの狂気性を見事に表現している三國の脂の乗り切った演技は見事のひとこと! 暗闇の中でのほとんど表情も見えない演技であるにもかかわらず、船員を演じた奥田、田中、杉本ら三人との個性のぶつかり合いも見応え十分であった。
ただし、後半の裁判シーンになると、抽象的な描写がいささか過剰になり、死んだはずの船員たちが裁判官となって法廷に現れたり、法廷が突然洞窟の中になってしまったりと、現実とイメージが激しく交錯するようになっていく。人間の狂気と原罪を象徴するシーンにしたいという意図はわかるのだが、これはいささかやり過ぎのように思った。
また、冒頭とラストに学校長(三國の二役)が小説家(内藤)を案内して洞窟を訪ねるという現在のシーンが登場するが、そのシーンと過去の人物たちとの関連性がいまひとつ希薄だったのも惜しかった。
因みに題名の“ひかりごけ”というのは、洞窟の中に自生しているコケそのものとして登場するが、一方では、人肉を食べた者の首のうしろで光を放ち、人肉を食わなかった者にだけ見えるという光の輪をも意味している。つまりそれは誰にも見えない光の輪のことであり、“罪なき人無し”という人間の原罪を指すものなのだという。
ところで、この映画を見ていて唐突に思い出した映画がある。東宝の怪奇特撮映画『マタンゴ』(1963年、監督/本多猪四郎、脚本/木村武)である。絶海の孤島に漂着したヨットの若い数人の男女が、飢えてその島に自生していたマタンゴというキノコを食べて次々と怪物に変身していくという怪物映画だ。
今にして思えば、これはまさに人肉食のアナロジーであり、この『ひかりごけ』と全く同じテーマを扱った映画だったのだなぁとつくづく思った。年代的にも『マタンゴ』の公開は小説「ひかりごけ」の発表から9年後だし、もしかしたらプロットのベースに「ひかりごけ」があったのかも知れませんね。
えっ?『マタンゴ』を見た人は、そんな事、最初から分かってたって? うーむ……。