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『地雷を踏んだらサヨウナラ』 (1999年 チーム・オクヤマ) |
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ぼくは一時期、報道カメラマンのエッセイや手記を立て続けに読んでいた時期があり、この映画の原作となった一ノ瀬泰造の手記も、単行本と文庫で何度も読んでいる。
一ノ瀬泰造が、キャパや沢田教一と違っていたのは、彼が根っからのジャーナリストや報道カメラマンではなかったということだ。彼の出発点は「カメラマンとして名をあげるには戦争を撮ることだ」という気持ちだったのである。
そしてカンボジアを訪れるまでは、ただ写真を撮りたいという欲求のみがあって、何が撮りたいという目標はなかったのだ。
ところが、やがて彼は実際の戦場を撮っているうちに、大いなる目的を見出していくのである。だからこそ彼が目指したものは、生々しい兵士の生死の瞬間などといった戦場そのものではなくアンコール・ワットだったのだ。手記ではそうした心の移り変わりがジワジワと伝わってくる。
けれども、こうした部分というのは、一ノ瀬泰造を一流の報道カメラマンと同列に見てしまうと見えなくなってしまう。そして、泰造の手記によれば、戦場には、そうした名をあげたいために戦場へやってくるフリーカメラマンは無数にいたのである。
泰造は確かにジャーナリストではなかった。だが、彼のアンコール・ワットを撮りたいというカメラマンとしての欲求ほど純粋なものはなかった。そして、その意味では、彼は紛れもない真のプロ・カメラマンだったのである。
この映画は、泰造の友情や恋、そして現地の人々との交流などを実に繊細に描き、浅野忠信の演じる泰造は、本人の人なつっこさをよく現わしていてベストキャスティングであった。
けれども、この映画では、彼の生と死を描く上で最も重要な部分、すなわち「なぜ一ノ瀬泰造はアンコール・ワットを目指したのか」という部分については明確な答えを出してはいない。もしかしたら、監督も脚本家もそれを正確には理解していなかったのではないか。あるいは理解していても再現しきれなかったのではないだろうか。
史実では、泰造が最後に持っていたカメラは発見されず、果たして泰造はアンコール・ワットを撮ったのか、あるいは見たのかさえも不明である。この映画ではそこをどう描いているか、とても興味深かったのだが、実際にどうだったかは、映画をご覧になって確かめていただきたい。感想だけを述べておくと、このラストはなかなか良かったです。