Top 柴又名画座 No.131 Back
『砂の器』 (1974年 松竹=橋本プロ作品)

製作/佐藤正之、三嶋与四治、橋本忍
監督/野村芳太郎
原作/松本清張
脚本/橋本忍、山田洋次
撮影/川又昂
美術/森田郷平
音楽/芥川也寸志、菅野光亮
出演/丹波哲郎、森田健作、加藤剛、島田陽子、山口果林、加藤嘉、緒方拳、佐分利信
カラー シネマスコープサイズ 143分
 公開当時から何度見ただろうか。その度ごとに違った感想を持つ、非常に奥の深い映画である。
 まずいつも思うのは、構成の巧みさだ。有名な、ラスト20数分間(多分)に及ぶ、作曲家和賀英良のコンサートシーン。コンサートの音楽に乗せて、警視庁と和賀の回想を合わせた合計3つのシーンが同時進行するクライマックス。これは、見事としか言いようがなく、まさに映画シナリオの教科書ともいえますね。
 しかし、公開当時、映画青年を気取っていたぼくは、商業主義的映画をなべて批判的に見る傾向があって、劇場では感動して涙まで流しているくせに、素直に評価できなかったのを覚えている。
 当時、日本映画の興業成績は年々、史上最低記録を更新し続けていて、誰も日本映画を評価するものはいなかったのだ。そしてその元凶は、肥大化した東宝、東映、松竹などの映画会社にあると、映画青年は思っていたのである。そんな中で、大作主義を取って作られたこの映画など格好の批判材料だったのだった。また、テレビなどでかなり話題になっていたことも、かえって好きではなかった。
 ところがそれから数年後、大学に入ってから改めて見てみると、実に素晴らしい映画であることを再認識したのである。前にも述べた構成力の巧みさはもとより、親子の、絆を越えて宿命にまでなっている関係や、登場人物たちひとりひとりの描写の深さなど、高校生のころには見えていなかった“深み”が見えるようになったのだ。また、公開当時の社会的評判を気にすることなく、素直に見られたためでもあっただろう。
 その後、テレビ放映も含めて機会があるごとに見ているので、今回で5〜6回目くらいになるだろうか。
 今回、気がついたのは、当時の刑事捜査と現在の捜査のハイテク度の違いなどだ。移動の手段は夜行列車。そして地方では急行から鈍行に乗り換えるなどの描写がていねいに為されている。日本は狭くなったとはいえ、やはり20数年前には、捜査の移動に非常に時間がかかったことが良くわかる。また、刑事捜査の情報源の重要な部分にしばしば新聞が出てくることも興味深かった。当時は情報源として新聞がまだ大きな役割を占めていたのである。
 そう考えると、公開当時は何気なく見ていたシーンも、確かにその「時代」を正確に切り取っていたということなのだろう。そうした意味でも実に完成度の高い映画だったのである。
 役者についてもそれは言える。公開当時、演技がオーバーすぎて、非常に浮いて見えた森田健作の刑事役など、時代を経てむしろバランス良く見えてくるから不思議なものである。
 これはまさに、職人気質によって撮られた映画のほとんど終焉期を記念する記念碑と言ってもいいかもしれない。日本映画低迷期に、このような傑作があったことは誇りにしていいだろう。

(2000/05/13)


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