プレイヤーは眠れない・あとがき


黒沢哲哉

んがの中では触れていないが、作中に登場するネットワーク・ゲームアゴラ≠ェ試験運用を開始した年を、ぼくは1985年と設定した。
 1985年4月1日に電気通信事業法が改正され通信が自由化されると、それまで厳しく制限されていたコンピュータによるネットワーク通信が、日本でもようやく一般に開放されることになった。その半月前の3月16日には筑波研究学園都市で科学万博『つくば85』が開幕。ちょうど当時流行語だったニューメディアという和製英語がようやく具体的な姿を見せはじめた時期である。
 西ドイツの学生が高エネルギー物理学研究所のコンピュータに侵入し、ネットワークを舞台とした事件が日本で初めて一般に注目されたのもこの年である(実際に事件が公表されたのは2年後の87年2月)。
 巷にはマイコン内蔵≠ニ称するICやLSIを搭載した家電製品が氾濫し、我々の生活にブラックボックスであるコンピュータがどんどん進出しはじめた。同時にそれに起因する様々なトラブルの原因までもがブラックボックスの中に包み込まれていくことになる。
 ひところ社会問題となったAT車の暴走事故なども、ちょうどこのころから頻発しはじめている。

んな時期に、アゴラはシステムに改良を受けながら容量を増やし、他のネットワークとリンクしてはその触手を八方へ伸ばして行ったのだ。
 そして1993年現在、ネットワーク通信に加入している人の数はおよそ150万人と言われている。そればかりではない。大病院と僻地の病院でやりとりされる医療データ、コンビニのレジに設置されたPOSの商品管理情報、証券や銀行では金銭までもが電子記号化されてネットワークの中を行き交っているのだ。これだけの数の通信機器がネットワークでつながれたことはかつてなく、その結果がどうなるかなど誰にも予測できない。

経細胞のように複雑に張りめぐらされた通信網。そこにつながれた無数のコンピュータが、神経連鎖よろしくあらゆる場所、あらゆる時間に絶えず接続と切断を繰り返している。これはまさに人間の脳の構造そのものではないか。
 コンピュータが単独でトラブルを起こす場合は、ほとんど人為的なプログラミングミス(バグ)が原因であることが多い。だがこれは原因さえわかればまだ対策は取りやすい。バグといえどもトラブルの発生する条件と結果との間には必ず明確な因果関係があるからだ。
 ところが複数のコンピュータが互いに相手に影響を及ぼしながら発生するトラブルでは、原因も結果もまるで予想のつかない場合がほとんどだ。ネットワークとは関係ないが、旅客機の機内で乗客の使ったワープロやCDプレーヤーの発する電気的ノイズが飛行機のコンピュータを誤作動させてしまう、などというのもその一例だろう。

しもアゴラのように複雑で混沌としたネットワークがあったら、そこに予測不可能なプログラムが自然発生することだって考えられなくはない。そうだ。そうなったらきっとその彼≠フ影響力は予想をはるかに超えたものになるに違いない。ネットワーク同士がどこでどう繋がっているかなんて把握している人間は誰一人いないのだから。
 そんな妄想めいた考えをめぐらせながらパソコンに向かって原稿を書いている(キーボードを叩いている)と、時としてぼくの中で一種のハウリング状態が発生する。ハウリングとは、カラオケなどでマイクとスピーカーを近づけた時にキーンと耳障りな音のするあれである。スピーカーが発するわずかなノイズをマイクが拾い、その音がまた増幅されてスピーカーから出る。それが無限に繰り返されるために起こる現象だ。
 パソコンでは、キーボードを叩くとその結果が瞬時にしてディスプレイに表示される。それをぼくの目がほぼ同時に認識して、その結果を受けつつまたキーを叩く。見事に手→コンピュータ→目→手…という無限ループができている。次第にどこまでが自分の体でどこからがコンピュータなのかという境界線が曖昧になってくる。そうなるとストーリーは自らの予定調和を裏切って暴走を始めるのだ。『プレイヤーは眠れない』はパソコンで書かなければ、恐らくまるで違ったストーリーになっていただろう。

のハウリングは、ぼくと作画の正木氏の間においても発生していた。プリントアウトされた原作に正木氏のペンが命を吹きこむ。するとそれがまたぼくの原作のキャラクターの行動を大きく加速する。例えばモナという女性キャラクターは正木氏の提案で生まれた。ところがストーリーが展開するにつれ、彼女はぼくが書きたかったテーマにとっても不可欠の存在となっていったのだ。
 このまんがの発表後、多くの方から「どこまでが原作でどこからが作画家のアイデアなのか?」と尋ねられた。けれどもこの作品に限っては「合作です」としか答えようがない。 GODは、ぼくらのコンピュータとペンの無限ループの中から生まれた。いや、ひょっとしたら彼≠ヘこれから生まれてくるのかもしれない。


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