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monologue
< または日記 の・ようなもの >
2000.08


00/08/31
 15:00、高田馬場の手塚プロダクションでデスクワーク。

 19:00、高田馬場の喫茶店ジァンナンで、「リイドコミック」編集部のM井さんと、昨日送っておいた『探偵屋の女房』のシナリオについて打ち合わせをし、一部改訂することになる。

 帰宅してみると、先日、携帯電話を買ったコミュニティプラザ高砂から1通の封筒が届いていた。実は、携帯電話のマニュアルセットに1部欠品があったため、電話で送ってくれるよう依頼してあったのだ。
 ところが、何とその封筒が30円の料金不足なのである。さっそくコミュニティプラザへ電話を入れて、30円切手を送ってもらうように言った。う〜む、どこまでもやってくれます(笑)。

00/08/30
「リイドコミック」の『探偵屋の女房』シナリオを執筆。

 深夜、ガストで続きを書き、早朝、ファックスで編集部へ送る。

00/08/29
 13:00、高田馬場の手塚プロダクションでミーティング。

 19:00、高田馬場の喫茶店ルノアールで、「オースーパージャンプ」編集部のM沢さんと『HAIKARA事件帖』の第2回のネタ打ち合わせをする。

00/08/28
 新企画社単行本の原稿を執筆。

00/08/27
 近所の図書館で、『HAIKARA事件帖』『探偵屋の女房』の両方のネタの資料調べをする。

00/08/25
 15:00、神保町の集英社ロビーで、「オースーパージャンプ」編集のM沢さんと、次回『HAIKARA事件帖』のネタ打ち合わせ。しかしこの日は物語の大枠だけしか決まらず、メインのネタに関しては、調べ直して来週あらためて打ち合わせということになった。

 夜「少年ガンガン」の『マジック・マスター』第3話の改訂プロットを書く。この monologue をずっと読んでくださっている方は「あれっ、第3話はもうシナリオを書いたんじゃないの?」と思われるかもしれないが、第2話のネームを改訂したため、すでに書いた第3話の話とは若干流れが変わってきてしまい、再度、プロットから立て直すことになったのである。まあ結果的にはその方が面白い展開になったので、いいんですけどね。

 深夜、車でガストへ移動して続きを執筆。ファックスで編集部へ送る。

00/08/24
 13:00、高田馬場の手塚プロでミーティング。新メンバーも加わって、いよいよプロジェクトが本格化してきた感じ。会話にも真剣さがみなぎる。
 が、それとは別に、ぼくの向かいに座られたOさんが、VAIOのPCG-C1を持ってるのが気になった。実は、ぼくはいま、近々ノートパソコンの購入を考えていて、機種選定の最中なのである。予定では VAIO の C1よりは大きいB5サイズのノートにするつもりなんだけど、やっぱ人が使っている機種の使い勝手も知りたくなるよね。

00/08/23
 う〜む。どうやら夏バテしたらしく、仕事があまりはかどらない。

00/08/22
 午後、高田馬場の手塚プロでデスクワーク。

 深夜、ガストで新企画社単行本の原稿を執筆。

00/08/21
 う〜む。どうやら夏バテしたらしく、仕事があまりはかどらない。

00/08/19
 11:00、コミュニティプラザ高砂に電話をすると、昨日とは別の女性が出て、明るい声で「ドコモの新規登録でしたら、昨日の午後5時からできるようになってます」と答えた。な、なにぃぃ! だったら電話くらい入れろっちゅーの!! ムダ足踏んで帰ってるんだから。
 なんだか買う前からケチがつきっぱなしなので、もう別のところで買おうかとも思ったのだが、こうなったらこっちも意地である。
 午後、まるで法廷に臨む原告のような気持ちでヨーカ堂へと向かい、昨日持ち帰った書類をあらためて提出し、代金を支払って申し込みを済ませる。
「それでは1時間ほどで登録が終わりますので、1時間後においでください」
 そうだよ! ホントは、ものの1時間で終わる話だったんだよ。なんで俺はこんなことのために3回も足を運んで、時間を取られなければならないんだ!
 おまけにこの3日間、ヨーカ堂の駐車場が改装中で使えないから、車を近くのコインパーキングに止めてお金もかかってるし(これは関係ないが)、などと思いつつも、あくまでも理性的に笑顔で話をすすめる。
 そして、マクドナルドで原稿を書いて時間をつぶし、1時間後に店へ顔を出した。
 すると、すぐに棚にぼくの契約した電話機の入った紙袋が置かれているのが目についた。が、驚いたのは、そこに紙片がクリップ留めしてあって、な、なんとそこにぼくが書類に記入した留守番電話の暗証番号がデカデカと記してあることだった。客からも丸見えのあんな場所に、なんで暗証番号が書かれているんだ! しかもその紙片には「暗証番号は○○○○でお願いします」と書かれていて、わざわざその番号が暗証番号であることさえはっきりわかるようになっている。いったいどういうことだ? と思って不安になったのだが、カウンターの女性は、それに何の疑問も持たず、袋をぼくの前へ置いてこう言った。「実は、暗証番号を設定する部分が2ヵ所あったんですが、お客様から1つしかお聞きしてなかったので、もう一方も、この暗証番号で設定しておきました」と言ったのだ。
 ああ、そのための暗証番号だったのか。まあ、そこまでは勝手に決めたのも許すとしよう。もし事前に聞かれても、ぼくも同じ暗証番号にしたと思うからだ。しかし、誰からも見える場所に暗証番号をメモしておくというのはいかがなものか、と思っていた矢先、その女性が、大きな声で「それでは、お客様の暗証番号は○○○○でよろしいですね!」とぼくの暗証番号を5メートル四方に響き渡る大声で読み上げたのだ。他の客もいるというのに。うおおおっ! こいつはどこまで愚かなんだ!!
 そこで、ぼくは「すみません、この暗証番号変えてくれませんか?」と言うと、相手はキョトンとしている。「いま、音読されてしまったので、暗証番号としての意味がなくなってしまったので」と言っても、「別にこの番号は、電話機の番号と両方わからなければ意味ないものですから」などと言っている。だって、その電話番号だっていま読み上げたじゃん!!
 そうしたらその女性は、不承不承ながらも別の店員とボソボソ相談し、その後、ドコモに電話で問い合せをはじめた。そして5分ほど待たされた結果、得られた返事は「うちは代理店なので、暗証番号はうちでは変更できませんのでこちらに電話してください」といって、ドコモのどこにでも載ってる一般的な問い合せ窓口の電話番号を教えてくれただけだった。トホホ…。

 しかしトホホはまだ続いた。帰宅してすぐにそのドコモの電話番号へかけてみると、またかなり待たされたあげく、「暗証番号をお電話で変更することはできません。お近くのドコモショップをお教えしますので、そちらで変更してください」と言うではないか。さんざん待たされたあげくそれが返事かい。うおおっ!!
 それにしても、ただ携帯電話を買うだけなのに、うまくいかないときないかないものである。そもそも、なぜこの店で買おうと思ったのかというと、ツーカーを解約できる店でうちからいちばん近いのがこの店だったからなのだ。わざわざツーカーステーションまで出向いて解約をし、それから別の店でドコモを契約するのは面倒だと思ったからそうしたのに、むしろ新宿あたりでツーカーステーションとドコモショップをハシゴした方がよっぽど簡単に済みましたね。まあ、たまたまタイミングが悪かったんだとは思うけど、相手にとっても、うるさい客でさぞ災難だったことでしょう。

 というわけで、ようやく新しい携帯電話が手に入りました。やっと手に入れた携帯はかわいさもひとしおです(笑)。 snap photo

 夜、新企画社の単行本の原稿を書く。

00/08/18
 午前中、ちょっと外出している間に、昨日書類だけを書いて置いてきたコミュニティプラザ高砂から留守番電話が入っていた。今日、14:00に行くと言ってあるのにいったい何だろうと思ったのだが、相手は「電話をください」とだけ言って切ってしまっているから、電話番号がわからない(笑)。何しろ、昨日はお金は払っていないとはいえ、書類を書いて印鑑まで押してきているのに、名刺も預かり証もくれなかったのだ。
 そこで、なんだかなぁと思いつつ104に電話をしようかと考えていたとき、ふと、昨日、チラシを1枚もらっていたことを思い出し、ごみ箱をあさってそれを見つけ、そこに捺してあったゴム印を見て、ようやく電話をかける。
 と、何でもドコモの機械のトラブルがあって、新規契約の登録が15:00にならないとできないという。
 15:00、中途半端な1時間を過ごしてから店へ行き、代金を支払って契約手続きを始めた矢先、上司らしき人がぼくの書類を書いていた女性に耳打ちをした。「え、まだだめなんですか?」と女性が聞き返す。イヤな予感…。な、なんと、まだ機械のトラブルは復旧しておらず、明日の午後にならないと登録できないという。な、なにぃぃ!!
 ということで、いま払った代金をまた返金してもらい、いちおう書類も返してもらい、この日も空しく手ぶらで帰ることになった。

 仕方なく、高砂駅前のマクドナルドで、新企画社の単行本の原稿を書く。あ、ここもツーカーの圏外だ(涙)。

00/08/17
 新企画社の単行本の原稿を書く。

 夜、近所のヨーカ堂内にある、携帯電話の販売代理店・コミュニティプラザ高砂へ行く。実はかなり以前から、携帯電話を変えようと考えていたのだが、手塚プロのぼくの机が、現在使用中のツーカーでは完全に圏外となってしまうことから、いよいよドコモに変えることを決意したのである。
 ところが、店へ行ったのが夜8:00過ぎだったため、その日のうちには電話機の設定ができないという。ただし「仮契約ならできますが」というので、書類を書いたら「それでは、明日おいでいただいたときに、電話機の設定を行ないますので」だって。なんだ、明日また顔を出すまで何もやらないんだったら、今日書かなくても同じだったじゃん(笑)。
 しかも受け付けをしてくれた女性が、料金プランについて質問しても、それからパンフレットを繰りはじめるし、消費税計算は間違えるし、割り引きプランを設定したら、電卓で10%引きという計算ができない。うーむ、いろんな意味で、もう少し勉強していただきたいものである。

00/08/16
 13:00、手塚プロへ。今日は、前にぼくがアルバイトをお願いした女子大生のI藤さんに、手塚プロでもアルバイトをお願いしようと思って、手塚プロのK渕さんに会っていただいたのだ。
 この時点では、まだ正式にアルバイトをお願いしたわけではなく「とりあえず会って話を」といったお誘いだったわけだが、出版業界では、とりあえず会って話をしたら、もうそれは仕事を引き受けたということになるのが慣例で、I藤さんも、「それでは再来週からきていただきましょう」ということになったのであった。

 I藤さんが帰ったあと、まだ途中だったノートパソコンの環境設定の続きを行なう。昨日はまだLANにつながっていなかったが、K渕さんがLANの設定を終えてくれていた。
 手塚プロは専用線接続なので、さっそくインターネットにアクセスしてみた。すると、これが恐ろしく軽い! うちの64KbpsのCATVインターネットより数倍早い感じだ。う〜む、個人でシコシコとアクセスしているときに、企業ではこんな快適な環境でインターネットをやっていたなんて、大人ってズルイ…。

 気を取り直して、持参した自分のノートパソコンを取り出し、昨日N川さんから連絡をいただいた、エニックス「少年ガンガン」の『マジック・マスター』第2話の改訂をおこなう。

00/08/15
 13:45、手塚プロでミーティング。その後、手塚プロのぼくの机に、ぼく用のノートパソコンが届いたので、終日、その環境設定に追われる。夢中であれこれやっていて、ハッと気づくと、いつの間にかもう午後6:00を過ぎていた。も〜ぐったりである。自分用の環境ができていないパソコンをいじるのはすごく疲れるのだ。
 そこでふと隣の机に座っている作家の小林弘利くん見ると、ぼくのマシンと一緒に導入された彼のノートパソコンは、もうだいたい環境設定を終えてしまったようで、彼は黙々と仕事を始めていた。
 小林くんは自宅のPCをあまりカスタマイズせずに使っているらしく、特にあらためて設定することもないようなのだ。
 ぼくの方は、少しでも便利になるようにとめちゃめちゃカスタマイズしているために、かえって、その環境を別のPCに移植するとなると、すっごい大変なのである。
 こうなると、ぼくと小林くんの、いったいどちらがパソコンを使いこなしているのか、わからなくなってしまいます。

 夜、「少年ガンガン」編集部のN川さんから電話があり、すでに決定稿となっていた第2話の原作をネームにしてみたところ、少しあっさりしすぎているという連絡があった。ネームというのは、まんが家がペン入れの前にコマ割りをしてセリフを入れた下描きのことだ。そこで、全体的にセリフを足して内容を補強することになった。

00/08/12-13
 エニックス「少年ガンガン」の『マジック・マスター』第3話の原作を書く。

00/08/11
 終日、エニックス「少年ガンガン」の『マジック・マスター』第3話の原作を書く。

 夕方、柴又名画座を開館。テンションを上げるために、本日は、今村昌平監督がエネルギッシュな人間たちの生きざまを描いた『豚と軍艦』を上映。 comment and picture

 深夜、車でガストへ行き、続きを執筆。

00/08/10
 午後、起きてふと考えると、午前中に何か電話があったような気がする。必死で考えて、ようやく思い出した。葛飾ケーブルからの電話で、おととい初期不良だったブースターが入荷したので、夕方設置に来てくれるという連絡だったのだ。

 17:00、先日も来た葛飾ケーブルの技術の人が今日はひとりで来て、ブースターの設置をしてもらった。今回こそ、ものの30分で完了。これでケーブルモデムの安定度は増したはずだという。
 ついでにテレビ放送の方の画質がイマイチな点もチェックしてもらうが、そちらはやっぱり原因不明。ところが、あれこれいじっているうちに、画面の左端に出ていた白い線が出なくなった。原因不明でも線が出なくなったのは喜ばしいことなんだけど…。

 葛飾ケーブルの人が帰ったあとに、見てみたら、やっぱり消えてなかった。あ〜、そんなもんなんだよね(苦笑)。これに関しては、私、もうあきらめてマス

 この日は、終日、エニックス「少年ガンガン」の『マジック・マスター』第3話の原作を書く。

 深夜、車でガストへ行き、続きを執筆。

00/08/09
 14:00、東銀座の東急ホテルで、いそっぷ社代表のS藤さんとお会いする。
 S藤さんからは、先週ご連絡をいただき、今日が初対面。ぼくの著書やホームページを見て、仕事のお話をいただいたのだが、新企画社の単行本がもう2年越しでひっかかっているため、そちらの目途が立ってからあらためて相談をさせていただくということになった。
 S藤さんはぼくと年齢が1歳しか違わず、大学も同じ早稲田、学生時代に通った映画館もほとんど同じと共通した部分が多く、打ち合わせというよりは、学生時代の旧友と再開したような雰囲気だった。

 16:00、徒歩で銀座1丁目のプロ用カメラ機材の専門店銀一へ行き、カメラバッグを購入。

 17:30、東銀座の昭和通り沿いにある老舗インドカレー専門店ナイルレストランで、カレーを食べて帰宅する。

00/08/08
 朝7:00、『HAIKARA事件帖』第7稿を、書き上がった部分までファックスで送り、なんだかんだしてたら寝たのが9:00。

 13:00、2時間ほど仮眠して高田馬場の手塚プロへ行き、ミーティングに参加。う〜ん眠い。体力勝負になってきた。

 16:00、帰宅後、昨日からインターネットに接続できないトラブルは、すでに直っているかと思ったら、まったく直っていなかった。すぐに葛飾ケーブルに電話をすると、これからサービスの人と技術の人が我が家へくるという。

 17:00、葛飾ケーブルの人がふたりで我が家へくる。今回はケーブルモデムを交換し、ブースターをかませることになったのだ。なんでも、我が家は信号の受信レベルが低いらしく、それがしばしばインターネット接続にトラブルが起こる原因のひとつなのだという。しかし、うちはレベルが低いってのは、何となく気分が悪いぞ(笑)。
 それはともかく、この工事は「ものの30分で終わる」という話だったのが、何と、持ってきたブースターが初期不良で作動しないのだ。
 ケーブルモデムを交換したことでいちおう接続はできるようになったものの、あれやこれやで1時間ほどやったが結局ダメで、後日、再度ブースターの設置に来ることになった。コンピュータ関連の機材で初期不良に当たってしまったのはこれで4度目である。うーむ。

 夜は、うちから近い江戸川河川敷で、毎年恒例の葛飾納涼花火大会が開催されていたが、その花火の音や、観光客のざわめきを窓の外に聞きながら、ぼくは仕事(涙)。『HAIKARA事件帖』第7稿の続きを書く。

00/08/07
 朝7:00、『HAIKARA事件帖』第5稿が完成し、編集部と里見桂さん宅へファックスで送る。

 12:00ごろ、オースーパージャンプ編集のM沢さんの電話で起こされる。いまいち内容が期待した方向へ向かっていないと指摘され、すぐに改訂作業に取りかかる。結局、2時間ほどしか眠れなかった〜。

 夕方、ものすごい雷雨があり、落雷の直後、突然インターネット接続ができなくなってしまった。すぐに葛飾ケーブルのサービスに電話するが、今日は技術の人が休みで明日にならないと修理ができないという。実は先月も同様のトラブルがあったばかりなのである。ちょっとプンプンなのである。

 20:30、『HAIKARA事件帖』第6稿の、書き上がった前半部分だけをファックスで送る。しばらくして作画の里見桂さんから電話があり、さらに一部を改訂してほしいというリクエストをいただいて、すぐに第7稿に取りかかる。
 今回の話は、今後の作品の方向性を決定づける重要なエピソードであるだけに、M沢さんも里見さんも、いつにも増して真剣で妥協がないのである。こちらも負けてられないのである。

 深夜、車でガストへ行って『HAIKARA事件帖』第7稿の続きを書く。ここのガストも、もうすっかり常連になってしまった。

00/08/06
『HAIKARA事件帖』改訂第5稿を書く。

00/08/05
「PHPほんとうの時代」に連載中のコラム『昭和駄菓子屋おもちゃ館』の原稿を書き、写真と共にコンビニから宅配便で送る。

00/08/04
『HAIKARA事件帖』の改訂第4稿を書く。

00/08/03
 15:00、神楽坂の日本出版社で社長と「コンバットコミック」編集長の頭根さんと打ち合わせ。この夏号限りで「コンバットコミック」の編集協力をおりることになった。同誌の4代目編集長を退いてからも、5代目の治田編集長、6代目松田編集長のもとで、編集協力という形でずっと関わり続けてきたわけだが、これで、やっと手が離れたことになる。
 この編集協力という関わり方は実に中途半端だけど、一時は経済的にもけっこう重要な仕事で、やめるわけにはいかなかったんだよね。しかし、ぼく自身としては、もうかなり前から「コンバットコミック」でやりたいことはやりつくしてしまったと感じていたため、ちょうどいいタイミングだったと言えるだろう。

 帰宅後、『HAIKARA事件帖』改訂第3稿を書く。

 深夜、柴又名画座を開館。本日のプログラムは、終戦直後、封建主義の時代から一気に自由を得たことによる庶民の途惑いを描いた『自由学校』を上映。 comment and picture

00/08/01
 11:00、高田馬場の手塚プロでミーティング。

 15:00、神保町の新企画社へ行き、ようやくでき上がってきた単行本『ドラえもんのわくわくインターネット チャッともメルだちができちゃう本』をいただく。

 神保町の本屋を歩き、資料本や資料本でない本を買う。

 17:00、集英社ロビーでオースーパージャンプ編集のM沢さんと『HAIKARA事件帖』打ち合わせ。次回原作は、まだ若干の改訂が必要となる。


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