宝塚駅から、街路樹が立ち並ぶ小高い土手の道・花のみちをそぞろ歩いて5分。宝塚市立手塚治虫記念館(以下、手塚記念館)は、宝塚ファミリーランドの緑に囲まれた一角にある。
 敷地面積859.7m2。地上2階地下2階の鉄筋コンクリート造。18億8千万円の予算と1年3か月の工期をかけて94年3月に完成した。
 当初から計画に参加していたという、館長・山下稔氏によると、宝塚市における手塚記念館の誘致計画は、手塚治虫氏の亡くなった直後、1989年(平成元年)2月に始まったという。
「(記念館設立のお話は)ほかにもいくつかあったらしいですが、宝塚は、手塚氏にとって特に思い入れが強かった思い出の場所であることや、作品思想の原点であることなどから、最終的に宝塚市に決まったのです」と山下氏。
 淡々と語る山下氏だが、公立の施設としてまんが家の記念館設立を実現させるまでには、かなりの困難があったに違いない。何度も言われてきていることだが、日本では、いまだにまんがに対する文化的評価が低すぎるのだ。ここでその苦労談を書きつらねることは主旨から外れるので割愛するが、手塚記念館が、現実的なレベルで考えて、最も理想に近い形で実現したということは確かだろう。
 展示内容の充実度は言うにおよばず、上の写真のように各施設のディティールに対するこだわりが半端じゃない。また公立の施設にありがちな堅苦しさは全くなく、館内撮影は自由。図書・ビデオ等の閲覧にも面倒な手続きは一切不要というオープンさ。おまけにキャラクターショップ以外では、映像ホール、アニメ教室などを含め入館料以外一切お金がかからないというのもさすがである!
 手塚治(手塚治虫の本名)は、この宝塚で5歳から24歳までの多感な時期を過ごした。宝塚の野山で昆虫採集に明け暮れ、大好きな甲虫オサムシからペンネームを治虫としたことは有名だ。また宝塚歌劇への憧れは『リボンの騎士』を始め、ユニセックスなキャラクターが多く登場する彼の作品世界にも強い影響を与えている。
 手塚治虫が現代まんがのルーツであることは誰もが認めることだろう。つい数年前まで現役として活躍していた手塚氏に失礼かもしれないが、手塚まんがはまんが界すべての母なる古典なのである。
 古典を知らずして新たな創造はありえない。コンバット読者の皆さんも機会があればぜひここへ来て手塚コスモの真髄に触れてみて! きっと創作意欲をかきたてられる何かに出会うだろう。ぼくらまんが世代は皆アトムの子なのだから…。
 ぼくが死んだら、これまで貯め込んできた手塚まんがと手塚グッズのコレクションはここに寄贈することに決めた。ガラクタしかないけどねー!!